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米内山明宏(よないやま あきひろ)

俳優。演出家。日本ろう者劇団顧問。生年月日:1952年3月8日。東京都出身。東京教育大学(現筑波大学)附属聾学校高等部美術専攻科卒業。

ろう者の両親のもとに生まれる

 共にろう者の両親のもとに生まれ、生後8か月でろうと診断される。ろう者同士ゆえ両親の結婚は周囲から反対され、「子どもをつくらない」などを条件に認められたが、結婚の約1年後に一人息子の明宏が誕生している。

中学校で手話劇

 4歳で都立杉並ろう学校(現大塚ろう学校永福分教室)幼稚部に入学。邦画好きの父と洋画好きの母の影響で幼い頃から映画館に通い、字幕を読むため漢字の勉強に励む。中学部の文化祭では手話劇をゲリラ上演し、先生から呼び出しをくらったという。

文楽人形の絵で日展に入選

 両親から自立を言い渡され、中学部2年の時に写真の現像所でアルバイトを始める。その後も皿洗いや調理など様々なアルバイトを経験。

 杉並ろう学校中学部卒業後東京教育大学附属聾学校中学部に編入。高等部時代に文楽を観て衝撃を受け、専攻科1年の時に徳島に住む人形師・大江巳之助のもとへ行き、文楽人形を題材とした絵を描きあげると「日展」に入選した。

人形師を目指すも

 学校卒業後、人形師を目指して大江巳之助に弟子入りしたが直後に母親が死去。父親も病気を患ったため人形師を断念して帰郷。

東京ろう演劇サークルを設立

 父親の世話をしながら絵を描いていたが、辻村寿三郎の人形芝居や寺山修司の演劇を観て芝居熱が沸き上がり、アメリカのプロろう者劇団「ナショナルシアター・オブ・ザ・デフ(NTD)」の手話演劇に感化され、80年に「東京ろう演劇サークル」を旗揚げ。同サークルは後に黒柳徹子が理事長の「トット基金」の付帯劇団「日本ろう者劇団」となった。

寺山修司との出会い

 「東京ろう演劇サークル」を旗揚げしたのと同時期に渡米し、NTDの研修に参加。実力を認められて同劇団の正式メンバーとなり、全米・日本で公演を行った。ニューヨークでは寺山修司と出会って芝居談義を交わし、多大な影響を受けたという。

アイ・ラブ・ユー共同監督

 帰国は「手話狂言」など舞台で活躍し、87年に文化庁芸術祭賞を受賞。映画やテレビの手話指導なども行い、NHK『みんなの手話』では講師を務めた。99年には忍足亜希子主演の映画【 アイ・ラブ・ユー 】の共同監督を務めた。

芸術活動50周年

 2020年には芸術活動50周年を迎え、3月に『米内山明宏芸術活動50周年記念個展』を開催予定だったが、新型コロナウイル感染戦拡大により延期となった。

米内山陽子

 現在娘の米内山陽子も脚本、演出、舞台手話指導、舞台手話通訳など舞台を中心に幅広く活躍している。

関連人物

忍足亜希子

LAST UP 2020/09/25