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大山のぶ代(おおやま のぶよ)

女優、声優。1933年10月16日生、東京都出身。都立三田高校卒業。本名:山下羨代(やました のぶよ)。旧姓:大山。夫はタレントの砂川啓介。

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テレビと実物の印象が違った芸能人5選

声をからかわれ

 生まれつき特異な声だったため、心配した母親が耳鼻咽喉科へ連れて行ったこともあるという。中学生になると声をからかわれるようになり、克服するため放送研究部に入部。校内放送を担当するうちにからかわれなくなり、その後始めた放送劇が好評を博して演劇部でも活躍するようになる。

劇団俳優座養成所に入所

 高校でも演劇部に入部する一方、在学中の54年に劇団俳優座養成所に入所し、56年にNHKドラマ【 この瞳 】でデビュー。女優のほか声優としても活躍し、NHKの人形劇『ブーフーウー』やアニメ【 国松さまのお通りだい 】などに出演した。

砂川啓介と結婚

 63年にミュージカル【 孫悟空 】で共演者の砂川啓介と出会い、翌64年に結婚。32歳の時に妊娠7か月で男児を死産。38歳で女児を出産したが生後3ヶ月で死去した。その後子供はもうけていない。

「ドラえもんって・・・」

 78年、それまで漫画【 ドラえもん 】を読んだこともなかったが、はじめて見たパイロット版【 ドラえもん 】の愛らしいキャラクターにゾッコンになって出演を快諾し、79年4月にアニメ【 ドラえもん 】が放送開始。原作者、藤子・F・不二雄(藤本弘)と初めて対面した際、藤本が「ドラえもんって、ああいう声だったんですねぇ」と語ったという。

 【 ドラえもん 】はすぐに絶大な人気を獲得し、80年には映画第一作【 ドラえもん のび太の恐竜 】が公開、【 ドラえもん 】関連のレコード売り上げも100万枚を突破した。現在は世界中で愛されるキャラクターになっている。

脚本家として

 本業は女優でありながら声優のイメージが強いが、『ドラえもん』を担当してからは他の声の仕事は断り、『ドラえもん』以外ほとんど出演していない。料理研究家として多くの著書を出版しているほか、ドラマ【 太陽にほえろ! 】の脚本を執筆したこともある。

ドラえもん降板

 01年に直腸がんを手術。手術は成功したが、高齢であるため『ドラえもん』担当中に自分にもしものことが起きたら『ドラえもん』を傷つけてしまう、と考え降板を決意。05年3月に26年間続けた【 ドラえもん 】を降板した。

 長年の功績により05年に「放送ウーマン賞2004」を受賞。06年の著書【 ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話 】は【 ドラえもん 】に込めた強い想いが伝わるファン必読の一冊となっている。07年には音響芸術専門学校の学校長に就任した。

アルツハイマー型認知症

 08年に脳梗塞で緊急入院。辛いリハビリを経て、10年にゲームソフト【 ダンガンロンパ 】で声優として仕事復帰。しかし12年にアルツハイマー型認知症と診断を受ける。

実際の年齢

 15年に夫の砂川啓介がラジオ番組で認知症の事実を公表。大きな反響を呼んで砂川が記者会見を開いた。この際それまで1936年生まれとしていた大山は実際は33年生まれだと明かした。

砂川啓介死去

 16年に砂川が尿管がんで入院したため、大山は老人ホームに入所。17年7月、尿管がんのため砂川啓介が死去した。

LAST UP 2020/04/01