ワダマメドットコム

話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

小谷実可子(こたに みかこ)

スポーツジャーナリスト。元シンクロナイズドスイミング選手。1966年8月30日生、東京都出身。日本大学文理学部卒業。

ワダマメちゃんねる


スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

姉に倣ってシンクロ転向

 4歳の時、姉の後を追って水泳教室に入会して水泳を始める。コーチの勧めで姉がシンクロナイズドスイミングに転向すると、一緒に転向。姉はすぐにやめてしまったが、妹・実可子はぐんぐん上達し、9才の時に全国大会10歳以下の部で優勝。その後の大会でも好成績を残し、桐朋女子中学入学と同時に名門「東京シンクロクラブ」に移籍。

1年間アメリカ留学

 中学時代はシンクロ漬けの日々を送ってジュニアの日本代表に選ばれると、国際大会で見た世界のトップ選手に刺激され、桐朋女子高校在学中の82年から1年間アメリカに留学。名門シンクロクラブ「アクアナッツ」でアメリカ代表チームのコーチ、ゲール・エメリーの指導を受け、数々の全米ジュニアのタイトルを獲得した。

夏季五輪女性初の日本選手団旗手

 83年に帰国し、85年のパンパシフィック選手権ではデュエットで優勝し、ソロで2位。全日本選手権デュエットで4年連続優勝し、87年には日本室内選手権でソロ初優勝。88年のソウルオリンピックでは開会式で夏季五輪では女性初となる日本選手団の旗手を務め、ソロ、デュエットの2種目で銅メダルを獲得した。

バルセロナ五輪は本番直前で補欠に

 その後も活躍を続けてスイス・オープン、マジョルカ・オープンなどで優勝し、91年の世界選手権ではソロで銅、デュエットで銀メダルを獲得。しかしデュエット代表に選ばれていた92年のバルセロナオリンピックは本番直前で補欠となって出場ならず、五輪終了後に現役を引退した。

引退後

 引退後はシンクロの普及活動や指導、国際オリンピック委員会選手会委員やスポーツコメンテーターなど幅広く活躍し、JOC(日本オリンピック委員会)理事も務めた。なお99年に結婚し現在は2児の母。

関連人物

井村雅代

LAST UP 2017/06/21