元女優。元株式会社石原プロモーション代表取締役会長。生年月日:1933年7月23日。東京都目黒区出身。目黒第二中学校卒業。旧芸名:北原三枝。本名:石原まき子。旧姓:荒井。愛称:マコ。
- ワダマメちゃんねる
- 生い立ち・若い頃
- 女優・北原三枝
- 石原裕次郎のオーラに一目で恋に落ちる
- 高身長のゴールデンコンビ
- 駆け落ち同然でアメリカ行き
- 石原裕次郎氏去
- 石原裕次郎記念館
- 石原プロモーション解散
- ワダマメちゃんねる
- 参考文献
- 作品
ワダマメちゃんねる
生い立ち・若い頃
東京・目黒で生まれたが、きょうだいが多く、病弱だったこともあって、幼い頃は山梨にある母の実家で育てられる。小学校入学で東京に戻るも、戦火が激しくなったため再び山梨で疎開生活を送る。
女優・北原三枝
終戦後東京に戻ると、姉に連れられて観た宝塚歌劇に感動したのがきっかけとなり、家計を助けるためにもと中学校卒業後、日劇ダンシングチームに入団。しかし厳しいレッスンや戦後の食糧難による栄養不足などから身体を壊して52年に退団。同年に映画会社・松竹に入社して女優「北原三枝」となる。
石原裕次郎のオーラに一目で恋に落ちる
54年に日活に移籍し、スター女優として活躍していた56年、プロデューサーの水の江瀧子に紹介され、映画【 太陽の季節 】にちょい役で出演していた石原裕次郎と日活のスタジオで出会う。次作【 狂った果実 】での共演が決まっていたものの、裕次郎は本格的に俳優活動を始める前だったが、1つ年下の裕次郎が放つオーラに圧倒され、一目で恋に落ちる。大変な俳優になりそうだと直感したという。一方の裕次郎も高校時代に映画【 君の名は 第二部 】を観て以来北原三枝のファンで、水の江に会わせてくれと頼んでいたという。
高身長のゴールデンコンビ
同年に映画【 狂った果実 】で裕次郎と初共演を果たすと、当時としては珍しいスラリと伸びた長身の二人はその後も『ドル箱コンビ』として【 俺は待ってるぜ 】、【 嵐を呼ぶ男 】など数々の映画で共演するとともに交際を重ねる。
駆け落ち同然でアメリカ行き
二人は結婚を決意するも、大スター同士ゆえ周囲から猛反対されたが、60年1月にアメリカに逃避行したのをきっかけに周囲も認めるようになり、同年12月2日、日活ホテルで結婚式を挙げた。裕次郎と牧村旬子のデュエットで大ヒットした【 銀座の恋の物語 】は挙式前夜にレコーディングしたものだという。
石原裕次郎氏去
60年公開の裕次郎との共演作【 闘牛に賭ける男 】を最後に女優を引退。結婚後は芸能活動をせず、妻として俳優・石原裕次郎を支え続けたが、87年に裕次郎が死去した。子どもはいない。
石原裕次郎記念館
かつて館長を務めた石原裕次郎記念館は17年8月末で閉館した。
石原プロモーション解散
20年7月17日、石原裕次郎の命日に、21年1月をもって石原プロモーションは芸能事務所としての業務を終了すると発表。裕次郎は「俺が死んだら即会社をたたみなさい」と遺言していたという。
21年1月16日、会長を務めていた石原プロモーションは解散した。現在は著作権や肖像権の管理などを行う石原音楽出版社の取締役名誉会長を務めている。
ワダマメちゃんねる
LAST UP 2022/03/28