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狩野舞子(かのう まいこ)

元バレーボール選手。1988年7月15日、東京都出身。八王子実践高校卒業。ポジション:WS/S。身長185cm。ニックネーム:マイコ。

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バレー一家

 父は元実業団選手で母も元ユニバーシアード選手というバレー一家に生まれ、11歳上の姉・狩野美雪も北京五輪に出場した元Vリーガー(現デフバレーボール女子日本代表監督)。

24年ぶりの中学生全日本候補

 小学4年でバレーを始める。強制されたわけではなく、テニスの方が好きだったというが、それでも小学生で170㎝を超えた長身を生かして活躍。名門・八王子実践中学に進学すると、全国都道府県対抗中学大会で東京都の優勝に貢献してオリンピック有望選手を受賞。04年3月には柳本晶一監督のもと大谷佐知子、中田久美以来24年ぶりとなる中学生での全日本代表候補入りを果たして注目を集めた。

母と姉の母校八王子実践に

 同年4月に母と姉の母校でもある八王子実践高校に進学。腰のヘルニアに悩まされて満足にプレー出来ない日々が続いたが、07年に姉・美雪のいる久光製薬スプリングスに入団すると、07/08V・プレミアリーグでは開幕戦からスタメン出場。しかし08年2月、試合中に右アキレス腱を断裂、北京五輪出場はならなかった。

Vプレミアリーグ準優勝

 復帰した08/09V・プレミアリーグでは開幕戦から出場して準優勝に貢献し、09年5月の黒鷲旗でも準優勝して敢闘賞、ベスト6を受賞。眞鍋政義新監督のもと全日本にも復帰、11月のグラチャンのエントリーメンバーにも選ばれたが、合宿中に右ひざ半月板を損傷して欠場した。

海外移籍

 10年1月、今度は左アキレス腱を断裂。7月に久光製薬を退団してリハビリに励み、11月にイタリア1部リーグ・パビアに入団、10/11年シーズンをプレーしたがチームは最下位に終わる。11年は全日本に復帰してワールドグランプリに出場(日本は5位)し、10月からはトルコ1部リーグ・ベシクタシュに所属。

ロンドン五輪で銅メダル

 12年ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルを獲得。大会後の9月、2年ぶりに久光製薬に復帰、同時にウイングスパイカーからセッターに転向することが発表された。

 15年6月に久光製薬を退部。休養を経て16年7月にPFUブルーキャッツに入団、ウイングスパイカーとして復帰した。

現役引退

 18年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退した。

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柳本晶一 中田久美

LAST UP 2019/02/28

木村沙織(きむら さおり)

元プロバレーボール選手。1986年8月19日生、東京都出身。下北沢成徳高校卒業。ポジション:WS。身長185cm。ニックネーム:サオリ。

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アニメ宮浦健人物語

中学校で全国制覇

 ママさんバレーをしていた母親の影響で、小学2年で本格的にバレーを始める。成徳学園中学校(現下北沢成徳中学校)時代は2つ上の先輩・大山加奈らと練習に打ち込み、3年生の時に全日本中学校選手権優勝。全国都道府県対抗中学大会でも優勝してJOC・JVAカップ、オリンピック有望選手を受賞した。

スーパー女子高生

 高校では03年の春高で優勝、同年は全日本にも初選出されワールドカップに出場。怪我の鈴木洋美に代わって急遽召集されたものだったが、メグカナ人気に沸いた同大会で「スーパー女子高生」として注目を集めて全日本に定着し、アテネ五輪にも出場。

東レ入団

 05年に東レに入団。05-06年の第12回Vリーグでは開幕戦からスタメン出場し、新人賞を受賞。07/08V・プレミアリーグでは東レの初優勝に貢献し、ベスト6賞を初受賞した。

 08年4月には親友で元全日本の横山友美佳がガンで死去。悲しみを乗り越えて臨んだ5月の世界最終予選でも活躍し、五輪出場権獲得に貢献。北京五輪は2大会連続の5位。

Vリーグ3連覇でMVP

 08/09V・プレミアリーグで女子初の2連覇を達成すると、翌年は3連覇を達成してMVPを初受賞。10年の世界選手権では32年ぶりのメダル(銅)を獲得した。

 10/11V・プレミアリーグは東日本大震災の影響で打ち切りとなり4連覇はならず、準優勝に終わったが敢闘賞を初受賞。11/12は2年ぶりの優勝を飾って5年連続5回目のベスト6賞を受賞。

 ロンドン五輪最終予選でもエースとして出場権獲得に貢献、ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルを獲得した。

年俸1億でトルコ移籍

 五輪後トルコ1部リーグの強豪、ワクフバンクに年俸1億円で移籍。12/13シーズンは控えが多かったものの、47戦全勝の3冠(トルコカップ、ヨーロッパチャンピオンズリーグ、トルコリーグ)を経験。

 当初は12/13限りでの引退を決意していたが、眞鍋政義全日本監督の説得もあって現役を続行し、全日本の主将に就任。13年6月、同じトルコ1部リーグのガラタサライ・ダイキン移籍した。

東レ復帰、結婚、引退

 14年6月、2年ぶりに東レに復帰。東レの日本人選手では初のプロ契約となる。16年は自身4大会連続となるリオオリンピックに出場(日本は準々決勝敗退)、12月に元バレー選手の日高裕次郎と結婚。17年3月に現役を引退した。

 「サオリン」の愛称でバレー界のアイドルとして人気を集め、11年にはフォト&エッセイ【 Saori 】も出版している。

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大山加奈

LAST UP 2017/08/04

大林素子(おおばやし もとこ)

タレント。元バレーボール選手。1967年6月15日生、東京都出身。八王子実践高校卒業。身長182cm。

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アニメ西田有志物語

小学6年で170センチ

 幼い頃から飛びぬけて背が高く、小学6年で170センチに到達。大学生に間違われることもあったという。なお母親は東京五輪代表候補にもなった元走り高跳び選手。

日立の山田監督に手紙を出して

 小学4年の時に見たアニメ【 アタックNo.1 】に憧れて中学校入学後本格的にバレーを始める。2年生の時、当時日本一だった日立バレー部の合宿所が自宅近所にあることを知って山田重雄監督に手紙(ファンレター兼自己アピール)を書くと、山田から直接電話で誘われ日立の練習に参加。「長身、左利きで素質もあるから頑張ればオリンピック選手になれる」と激励されて一層練習に打ち込む。

バレー界のアイドルに

 3年生で都大会に出場して中学選抜に選ばれ、台湾遠征にも参加して名門・八王子実践高校に進学。2年生で春高準優勝、3年生の国体では優勝して全日本にも選ばれワールドカップに出場。現役高校生代表として注目を集め、バレー界のアイドルとなった。

 86年に日立に入社し、エースアタッカーとして活躍。日本リーグでMVP、スパイク賞、ベスト6など多くの賞を受賞し、全日本でも88年ソウル五輪(4位)、92年バルセロナ五輪(5位)に出場。

日本人初のプロバレーボール選手に

 しかし94年にプロ化を巡ってチーム内に混乱が生じ、11月に吉原知子とともに突然日立を解雇される。大きなショックを受けたが、気分新たに活躍の場を海外に求めて95年1月に吉原とともにイタリアのプロリーグ・セリエAの「アンコーナ」に入団。日本人初のプロバレーボール選手として5ヶ月間プレーした。

現在はタレントとして活躍

 95年5月に帰国。帰国後Vリーグの東洋紡オーキスに入団し、96年アトランタ五輪(9位)にも出場。97年に現役を引退し、現在は大手芸能プロダクション・ホリプロに所属してタレントとして活躍。日本バレーボール協会広報委員なども務め、解説者としても活躍している。

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中田久美 吉原知子

LAST UP 2012/05/20

山本隆弘(やまもと たかひろ)

元プロバレーボール選手。1978年7月12日生、鳥取県出身。日本体育大学卒業。ポジション:オポジット。身長201cm、体重93kg。ニックネーム:タカヒロ。

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助っ人でバレーを始める

 子供の頃から大のスポーツ好きで、小学生の時は野球に打ち込むも肘を壊す。中学校はサッカーをするつもりだったが、怖い先生の勧誘を断れず陸上部に入部。しかし中学2年の時、部員が一人だけで廃部寸前だったバレー部に助っ人を頼まれ、転部してバレーボールを始めた。

中学3年で190cm超

 その後部員を集めて大会出場するようになると、中学3年で190cmを超えた長身で注目され、名門・鳥取商業から誘われて進学。すぐにレギュラー入りし、長身、左利きの特性を生かして活躍。全国大会に出場したほかジュニアやユースの日本代表にも選ばれ、将来を嘱望されるようになった。

ワールドカップMVP

 卒業後日体大に進学し、99年にユニバーシアードで銀メダルを獲得。翌年全日本デビューし、01年にパナソニックパンサーズ入団。以降パナソニック・全日本でスーパーエースとして活躍し、03年のワールドカップではベストスコアラーとMVPを獲得した。

プロ転向

 04年4月にプロ契約を結び、社業を離れてバレーに専念し、全日本男子3大会ぶりの五輪出場を目指したが、アテネ五輪最終予選で敗退。エースの責任を果たせず、大きなショックを受けて引退も考えたというが、06年に全日本に復帰すると同年の世界選手権ではベスト8の原動力となり、07/08V・プレミアリーグでは36年ぶりの優勝を果たしてMVPを獲得。08年の最終予選で16年ぶりとなる悲願のオリンピック出場権を獲得した。

オリンピック

 北京五輪は5戦全敗の1次リーグ敗退に終わり、その後は全日本から遠ざかったが、11年に五輪以来となる全日本に復帰。しかしロンドン五輪出場権獲得はならず、12-13年シーズン限りで現役を引退した。

結婚

 なお05年に元Vリーガーの熊倉由美と結婚し、09年に第一子の長女が誕生している。

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植田辰哉

LAST UP 2013/05/29

柳本晶一(やなぎもと しょういち)

元バレーボール全日本女子監督。1951年6月5日生、大阪府出身。大阪商業大学付属高校卒業。

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東洋の魔女に感動して

 野球少年だったが入学した中学の野球部が休部していたため、しかたなくバレー部に入部すると、64年東京オリンピックで金メダルを獲得した「東洋の魔女」に感動して練習に打ち込むようになる。

新日鐵黄金時代

 高校時代は2年連続全国大会で準優勝して「高校No.1プレーヤー」と呼ばれ、全日本ユースにも選出されると数々の大学、実業団から誘われ、70年に実業団の帝人三原に入社。71年には新日鐵に移籍し、名セッターとして新日鐵黄金時代を築いた。しかし22歳から選出された全日本では当時「世界1のセッター」といわれた猫田勝敏がいたためレギュラーになれず、優勝候補だったモントリオール五輪は4位に終わり、メダル獲得はならなかった。

選手兼任監督となる

 80年に新日鐵の選手兼任監督となり指導者としての活動を始めると、82年に日本リーグで優勝。その後タイの男子ナショナルチームを率いて東南アジア競技大会優勝、地域リーグ・日新製鋼の選手兼任監督として日本リーグ昇格を果たすなど手腕を発揮し、91年に選手を引退して日新製鋼の専任監督となった。

女子の指導を開始

 97年に日新製鋼バレー部が廃部したため、同年にVリーグ・東洋紡オーキスの監督に就任して女子の指導を開始。2度のVリーグ優勝を果たしたが、02年に東洋紡バレー部が休部した。なお休部後気分転換のため全日本女子ジュニアの練習に顔を出し、大山加奈栗原恵らを指導している。

低迷していた全日本を再建

 指導者としての実績を買われて03年2月に全日本女子の監督に就任。2000年にシドニー五輪予選で敗退して女子バレー史上初めて五輪出場を逃し、02年の世界選手権では史上最低の13位に終わるなど低迷していた全日本の再建に乗り出し、当時高校卒業したてで、まだVリーグデビューもしていなかった大山加奈、栗原恵を抜擢、吉原知子を7年ぶりに全日本に復帰させるなど大胆な選手起用が成功し、03年のワールドカップでバレーブームを巻き起こした。

2大会ぶりに五輪出場

 2大会ぶりに出場した04年のアテネオリンピックは5位。07年9月のアジア選手権では24年ぶりの金メダルを獲得したが、同年11月のワールドカップは7位。08年の北京オリンピックは準々決勝敗退で2大会連続の5位に終わり、監督を退任した。後任は眞鍋政義。

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大山加奈 栗原恵 吉原知子

LAST UP 2008/12/06

大山加奈(おおやま かな)

元バレーボール選手:東レアローズ。1984年6月19日生、東京都出身。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)卒業。187cm、84kg。ポジション:WS。ニックネーム:カナ。

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アニメ西田有志物語

小学2年でバレーを始める

 小学2年の時、「ひまわりクラブ」に入部してバレーボールを始める。翌年には1歳下の妹・未希も入部している。

 6年生の時に小学生日本一を決める大会「ライオンカップ」で優勝して注目されるようになり、成徳学園中学時代は3年の時に全国優勝。

高校三冠

 高校ではキャプテンとして出場した春高の決勝で栗原恵率いる三田尻女子と対戦。歴史に残る激闘を制して同校初の春高優勝を果たすとインターハイ、国体も制し、高校三冠を達成した。妹の未希も成徳学園中学・高校と進学し、小・中・高すべてで全国優勝を経験している。

メグカナコンビで大ブレイク

 03年に東レアローズ入団。同年のワールドカップで栗原恵とともに「メグカナコンビ」として大ブレイクし、低迷していた女子バレーの救世主として「パワフル・カナ」のニックネームで活躍。大会後に行われた第10回Vリーグでは新人賞を受賞した。04年には未希も東レに入団している。

 04年のアテネ五輪世界最終予選では柳本晶一監督の方針で出場機会が少なかったが、オリンピックのメンバーには選出され、5位入賞に貢献。

怪我に苦しみ

 アテネ後は持病の椎間板ヘルニアに苦しみ、全日本を辞退して治療に専念していたが、05年11月のワールドグランドチャンピオンズカップで全日本に復帰。06年は8月のワールドグランプリには出場したが、その後は右肩の故障や椎間板ヘルニアに苦しみ、一時は引退も考えたというが、07年11月のワールドカップで全日本復帰。アテネ五輪以来3年ぶりとなる「メグカナコンビ」の復活となったが、大会後腰痛が再発して戦線を離脱。2007/08のV・プレミアリーグでは東レが初優勝を飾ったもののリーグ戦全試合を欠場。北京五輪最終予選、五輪代表からも外れた。

484日ぶりに試合復帰

 09年3月、プレミアリーグで484日ぶりに試合復帰。眞鍋政義監督のもと新生全日本「火の鳥NIPPON」の09年度登録メンバーにも選ばれたが怪我のため辞退。

現役引退、一般男性と結婚

 10年6月に現役引退を発表。東レに残ってバレーボールの普及活動を行っていたが14年に退社。マネージメント会社『ARS』所属となった。

 15年9月に一般男性と結婚した。

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荒木絵里香 木村沙織 栗原恵 柳本晶一

LAST UP 2019/02/21

石島雄介(いしじま ゆうすけ)

ビーチバレーボール選手:トヨタ自動車所属。生年月日:1984年1月9日。埼玉県出身。筑波大学卒業。身長198cm。ニックネーム:ゴッツ。インドア時代のポジションはWS。

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なんとなくバレー部に入部

 小学生の頃は剣道を習っていたが、進学した中学校に剣道部がなかったため、なんとなくバレー部に入部すると、すぐにのめり込んで練習に打ち込む。

名門深谷高校で高校三冠

 中学時代すでに『ゴッツ』とあだ名された体格の良さを買われ、名門・深谷高校から誘われて進学し、大型センタープレーヤーとして注目を集めて春高、インターハイ、国体の高校三冠を達成。

Vリーグ新人王

 大学時代は3年、4年と全日本インカレを連覇。4年生の時にセンターからサイドアタッカーに転向し、在学中の05年12月、内定選手として堺ブレイザーズに合流。05-06年の第12回Vリーグにシーズン途中から出場し、闘志溢れるプレーでチームを盛り立てると勢いに乗って堺が優勝。原動力として評価され、最優秀新人賞を受賞した。

ブラジル移籍

 06年に全日本に初選出され、同年9月には期限付きでブラジルリーグに移籍。サンパウロ・ウィザード・タウバテー、ウルブラの2チームでプレーし、07年4月に堺復帰。

北京オリンピック

 日本人離れした体格とパワー、ガッツ溢れるプレーで全日本を背負って立つエースとして期待され、08年の北京五輪最終予選でも活躍。16年ぶりとなる出場権獲得に貢献し、北京オリンピックにも出場したが、5戦全敗で1次リーグ敗退に終わった。

 09/10V・プレミアリーグで初のベスト6賞を受賞すると、10/11は5年ぶりの優勝に貢献、MVPを初受賞した(2年連続のベスト6賞も受賞)。

ビーチバレー転向

 しかし次第に全日本から遠ざかるようになり、16/17V・プレミアリーグ限りで堺ブレイザーズを退団。東京オリンピックを目指してビーチバレーに転向した。

東京オリンピック

 21年の東京オリンピックには白鳥勝浩とのペアで出場したが、3連敗で予選グループで敗退した。

関連人物

越川優

関連項目

東京オリンピック特集

LAST UP 2021/09/12

植田辰哉(うえた たつや)

大阪商業大学特任教授。元バレーボール全日本男子監督。1964年7月25日生、香川県出身。大阪商業大学卒業。身長196cm。

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春高に感動し大商大高校に

 小学2年で剣道を始めたが、中学1年の時に顧問が急死し剣道部が休部。長身からバレー部に誘われて入部すると、テレビで見た春高バレーに感動して、一般入試で大商大高校に進学。名門校ゆえ周りはスカウトされて入学した選手ばかりだったが、寮生活を送って毎日過酷な練習に明け暮れ、2年生でレギュラー入り。

新日鐵黄金時代

 大学時代はキャプテンも務め、87年に新日本製鐵に入社。同年の日本リーグで新人賞を受賞し、以降センタープレーヤーとして、眞鍋政義(現全日本女子監督)らと新日鐵黄金時代を築き、日本リーグ3連覇、黒鷲旗3連覇を達成。5年連続のベスト6やスパイク賞、ブロック賞を受賞。88年には全日本に初選出され、92年バルセロナ五輪にキャプテンとして出場した(6位)。

引退後指導者に

 現役引退後99年に新日鐵(現・堺ブレイザーズ)監督に就任。02年には全日本ジュニアのコーチとなり翌年監督に昇格したが、アテネ五輪出場を逃した田中幹保の後任として04年に全日本男子の暫定監督に就任。

4大会ぶりの五輪出場

 翌年正式就任して「V字改革」を掲げて再建に乗り出し、ハードワークで選手を鍛え上げたほか、身だしなみや心構えも指導し、コーチやスタッフの人事にも着手。7年間全日本を離れていた荻野正二を主将に抜擢し、05年アジア選手権で10年ぶりの優勝。翌年の世界選手権は24年ぶりのベスト8。08年には自身が出場したバルセロナ以来4大会ぶりの五輪出場権を獲得した。

32年ぶりの4大大会メダル

 北京五輪は5戦全敗で1次リーグ敗退に終わったが、09年グラチャンでは32年ぶりの4大大会のメダル(銅)を獲得。10年のアジア大会では16年ぶりの金メダル。しかし11年のワールドカップは2勝9敗で過去ワーストタイの10位だった。

ロンドン五輪出場ならず退任

 12年6月の最終予選は4位に終わり、ロンドン五輪出場はならず。監督を退任し、13年4月に大商大特任教授に就任した。なお二人息子の長男もかつて大商大高校に在籍し、春高バレーに出場している。

関連人物

荻野正二

LAST UP 2013/04/23

大村加奈子(おおむら かなこ)

京都府立北嵯峨高校教諭、バレーボール選手。北嵯峨高校卒業。1976年12月15日生、京都府出身。身長184cm。ニックネーム:カナ。

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長身を買われて名門北嵯峨に進学

 子供の頃から運動神経抜群で中学進学後バレー部に入部してバレーボールを始める。しかし強豪校ではなく、さほど熱心な練習はしなかったと言う。学業も優秀で進学校を考えていたが、すでに180cmを超えていた長身を買われてバレーの名門・北嵯峨高校に進学。

最高到達点319cm

 入学後本格的にバレーに取り組むと名門校のスパルタ練習で実力を伸ばし、同校初の春高ベスト4進出に貢献。卒業後はダイエーに入社し、最高到達点319cmのジャンプ力をいかして活躍し、97年には全日本に初選出された。

2大会連続のオリンピック

 01年には膝を手術、02年にはストレス性のアレルギーに悩まされて引退も考えたが、その度に苦難を乗り越え、04年にはアテネオリンピックに出場した(日本は5位)。なおダイエーバレー部の休部により、所属チームがオレンジアタッカーズ、久光製薬とかわっている。

 08年の世界最終予選でもワンポイントブロッカーとして北京五輪出場権獲得に貢献。北京オリンピックは準々決勝で敗退し、2大会連続の5位だった。

母校北嵯峨の保健体育教師に

 09年に京都府教育委員会教員採用試験のスペシャリスト特別選考枠で採用され、2009/10のV・プレミアリーグを最後に現役を引退して10年4月に母校・北嵯峨高校に保健体育教師として着任。同時にクラブチーム「京都雅レディース」に加入し、バレー選手としての活動も再開している。

LAST UP 2010/04/28

津曲勝利(つまがり かつとし)

バレーボール男子日本代表コーチ。生年月日:1975年11月2日。宮崎県串間市出身。鹿屋体育大学卒業。身長183cm、体重76kg。現役時代のポジションはリベロ。ニックネーム:ツマ。

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ビーチバレーで優勝

 小学3年でスポーツ少年団に入ってバレーボールを始める。アタッカーとして活躍し、宮崎県立都城工業高校時代は春高、インターハイともに3位。大学時代はビーチバレーにも出場し、97年の「ぴあカップ(全日本大学ビーチバレー選手権)」で優勝。

アタッカーとしての誘いがなく

 実業団入りを望んだもののアタッカーとしては低身長ゆえ誘いがなく、大学卒業後バレー部がある病院に就職。病院で働きながらバレー部(現・大分三好ヴァイセアドラー)でプレーし、看護師を目指して学校にも通っていたが、98年からVリーグにリベロ制が導入されたのがきっかけとなり、レシーブの巧さがリベロを探していた関係者の目に留まって99年にサントリーサンバーズに入団。

リベロとして

 以降リベロ一筋で活躍し、01-02年の第8回Vリーグでベストリベロ賞を初受賞すると、史上初のVリーグ5連覇を達成した03-04年にはベストリベロ賞とサーブレシーブ賞を受賞。06/07V・プレミアリーグでは3年ぶりの優勝に貢献し、3回目のベストリベロ賞を受賞した。

北京五輪に出場

 全日本には01年に初選出され、その後は不動のリベロとして活躍。04年アテネ五輪は最終予選で敗退したが、08年の五輪最終予選では全日本男子16年ぶりの出場権獲得に貢献。北京五輪にも出場したが、5戦全敗の1次リーグ敗退に終わった。

 サンバーズでは10年に荻野正二ヘッドコーチのもと10年ぶりの天皇杯(全日本選手権)優勝に貢献、11/12V・プレミアリーグ限りで現役を引退した。

サンバーズ・日本代表のコーチ

 引退後サントリーで営業職に就いたが、14年にサンバーズコーチとして現場復帰。17年からは中垣内祐一監督のもとで日本代表のコーチも務める。

 サンバーズでは21-22シーズンから事務局担当となった。

東京オリンピック

 21年の東京オリンピックでは初戦でベネズエラにストレートで勝利し、バルセロナ五輪以来29年ぶりの五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

関連人物

荻野正二 中垣内祐一 山村宏太
21年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2021/08/19