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玉置宏(たまおき ひろし)

司会者。1934年1月5日-2010年2月11日。神奈川県出身。明治大学商学部卒業。本名:玉置宏行。

子供の頃から落語が好きで

 米屋を営む父と小学校教師の母の間に長男として生まれる。子供の頃から近所の寄席に通って落語に親しむ。一方で米屋を手伝い、上得意だった歌手の故坂本九の実家にも米を配達していたという。

文化放送のアナウンサーに

 父は米屋を継がせたかったが母が進学を勧めたため明治大学に進学。卒業後に店を継ぐため商学部に進学したが、落語好きが高じてしゃべる仕事に憧れ、父親に隠れて予備校に通ってラジオ局・文化放送を受験。受験者700人中合格者3人の難関を突破して合格すると猛反対した父を説得し、56年に文化放送男性契約アナウンサー第1号として入社した。

入社直後に音楽番組の司会に抜擢

 入社直後の4月に音楽番組『あなたの希望歌謡曲』の司会に抜擢されると、レコード会社を回って新譜をチェックし、作詞家・作曲家のもとにも話を聞きに行くなどして歌謡曲を勉強。

一週間のご無沙汰でした

 その後ラジオに代わってテレビの時代になると58年3月に文化放送を退社、フリーになり同年5月からTBS『ロッテ歌のアルバム』の司会者となる。『ロッテ歌のアルバム』では「一週間のご無沙汰でした」の名文句で人気を博して61年からは全国ネットとなり、77年まで1000回に渡って司会を務めた(番組は79年まで放送)。なお「一週間のご無沙汰でした」は漫談家・牧野周一がかつてラジオ番組『素人寄席』の中で使っていたもので、このフレーズを気に入った玉置が放送開始前に自ら牧野に頼んで譲り受けたという。

歌手デビュー曲が10万枚のヒット

 他にも『平凡アワー』、『にっぽんの歌』など数々の番組で司会を務め、81年には真咲よう子とのデュエット【 東京ラストナイト 】で歌手デビュー。【 東京ラストナイト 】は10万枚のヒットとなりその後もデュエット曲をリリースした。

76歳で死去

 司会業のほか、日本司会芸能協会会長、横浜にぎわい座の館長なども務めたが、10年2月、脳幹出血のため死去した。76歳だった。

LAST UP 2010/02/12