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村田亙(むらた わたる)

専修大学ラグビー部監督、元ラグビー日本代表。ポジション:スクラムハーフ。1968年1月25日生、福岡県出身。専修大学卒業。172cm、75kg。

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学校では常にクラス1の低身長も

 3人兄弟の三男として生まれ、6歳で兄が通っていた名門「草ヶ江ヤングラガーズ」に入部してラグビーを始める。身体が小さく、学校では常にクラス1の低身長だったが、持ち前の運動神経と負けん気の強さで激しいタックルを武器にフルバックとして活躍。

小柄を補うスピードと技術

 中学時代は小柄からヤングラガーズではレギュラーになれなかったが、学校のラグビー部ではスクラムハーフとして活躍して東福岡高校に進学。入学時身長が150cmほどしかなかったものの2年生でレギュラー入りすると、小柄を補って余りあるスピードと技術で同校初の花園(全国高校ラグビー大会)出場を果たし、高校日本代表候補にも選ばれた。小、中、高は様々な伸長法を試し、反対に伸長を妨げると言われる筋力トレーニングはほとんどやらなかったという。

大学進学後身体作りを始める

 86年に専修大学に進学すると本格的に身体作りを始め、3年生でスクラムハーフのレギュラーを獲得。ずば抜けたスピードで注目を集め、4年生の時にキャプテンとして関東大学リーグ戦優勝。

日本人初のプロラグビー選手

 90年に東芝府中に入社し、96年度から日本選手権を3連覇したが99年シーズン途中に東芝府中を退社し、フランス2部リーグ、アビロン・バイヨンヌとプロ契約を結んで日本人初のプロラグビー選手となる。バイヨンヌでは中心選手として2シーズンで44試合に出場したが、日本代表でのプレーのため、01年にヤマハ発動機に移籍。02年度の関西社会人リーグではヤマハの初優勝に貢献した。

日本代表

 日本代表としては90年に初選出され、91年4月に初キャップを獲得すると91、95、99年と3大会連続でワールドカップに出場。03年のワールドカップ代表からは落選したが、05年に37歳で日本代表に復帰し、最年長キャップ記録を更新した。代表キャップ41。

引退

 08年に現役を引退。その後は7人制ラグビー日本代表監督を務めたが、12年4月に退任して、専修大学ラグビー部監督に就任した。

LAST UP 2012/04/09