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吉幾三(よし いくぞう)

歌手。1952年11月11日生、青森県出身。本名:鎌田善人(かまた よしひと)。

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父親は民謡歌手

 農家の9人兄弟の末っ子として生まれる。民謡歌手としても活動していた父・鎌田稲一さんについて子供の頃から人前で歌を歌う。中学入学後ギターを始め、2年生で演歌歌手になることを決意。

フォークにはまって作詞作曲

 中学卒業後に上京、東京に嫁いでいた姉のもとに居候し、板前見習いやトラック運転手の助手などをしながら作曲家・米山正夫のもとでレッスンに励み、72年に芸名「山岡英二」として【 恋人は君ひとり 】でデビュー。その後もレコードをリリースするも売れず、笹みどりや水前寺清子の前座を務めた。前座歌手時代に買ったフォーク・ギターがきっかけでフォーク・ソングにのめり込み、自らも作詞・作曲を行うになった。

プレスリーの死をきっかけに

 77年にエルヴィス・プレスリーが死去。その際周囲がその話題で持ちきりになったことに反感を抱き、酒の勢いにまかせて即興で歌った歌が評判になり、同年に新芸名「吉幾三」として千昌夫プロデュースの【 俺はぜったい!プレスリー 】で再デビュー。

俺ら東京さ行ぐだ

 【 俺はぜったい!プレスリー 】は大ヒット、ユニークな芸名も話題になって知名度を獲得したが、その後のレコードは売れず低迷。 82年には潰瘍性大腸炎で3ヶ月間入院して、歌手を辞めようとも思ったが入院中に作曲した【 俺ら東京さ行ぐだ 】が85年に大ヒット。その後も【 雪國 】(作詞・作曲:吉幾三)、【 酒よ 】(作詞・作曲:吉幾三) がヒットし人気歌手となった。持ち前のキャラクターを生かして俳優としても活躍、NHK大河ドラマ【 いのち 】などに出演した。

楽曲提供

 演歌歌手としては珍しく自ら作詞・作曲を行い、千昌夫、 五木ひろし美川憲一、金沢明子などへ楽曲提供も行っている。

娘も芸能界で

 17年6月、長女の歌手・KU(クー)が8月にメジャーデビューすることを発表した。次女も女優・寿三美(ことぶきみみ)として活躍している。

関連人物

五木ひろし 川中美幸 美川憲一 水前寺清子

LAST UP 2017/06/20