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山本昌邦(やまもと まさくに)

元サッカー選手。サッカー指導者。生年月日:1958年4月4日。静岡県沼津市出身。国士舘大学卒業。身長182cm。血液型:B型。

陸上で特待生の誘いも

 3人きょうだいの長男として生まれる。子供の頃からスポーツ万能で、小学5年で本格的にサッカーを始めると恵まれた体格を生かしてセンターフォワードとして活躍。中学時代は陸上にも取り組み、県大会400mで5位に入賞して陸上での推薦入学の誘いもあったが、一般受験で日大三島高校に進学しサッカー部に入部。

東部のベッケンバウアー

 ディフェンダーに転向し、2年生からキャプテンを務め、地元紙では『東部のベッケンバウアー』と評されるも全国高校サッカー選手権出場はなく、国体の県代表にも選ばれることもなく全国的には無名だったが、練習試合で山本のプレーを見た国士舘大学サッカー部監督・大澤英雄の目に留まり、同大の練習に参加するようになると熱心に誘われて同大に進学した。

日本代表に選ばれ

 大学では1年生からレギュラーとして活躍し、79年に総理大臣杯で優勝。一方で77年にユース代表、79年にユニバーシアード代表に選ばれ、80年からは日本代表に選出。実業団からオファーが殺到し、81年に地元静岡のヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)に入社した。

引退後指導者に

 ヤマハではスイーパーを務め、後に左サイドバックにコンバート。82年に日本リーグ2部で優勝し、天皇杯も制したが、左肩の脱臼や腰痛に悩まされるようになり、87年に29歳で現役を引退。

 ヤマハのコーチに就任して指導者としての活動をスタート。スカウトも担当し、名波浩や高原直泰らの獲得に貢献した。

代表のコーチ・監督を歴任

 92年に日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフに就任し、その後ユース代表、五輪代表、日本代表のコーチなどを歴任。02年の日韓ワールドカップではフィリップ・トルシエ監督のもとで日本代表コーチ(日本はベスト16)。04年アテネオリンピックでは監督を務めた(1勝2敗でグループリーグ敗退)。

現在

 04年11月から06年6月までジュビロ磐田の監督。現在は解説者として活躍し、日本サッカー協会技術委員会副委員長、静岡県サッカー協会副会長(代表理事)なども務めている。

LAST UP 2020/09/09