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浦田理恵(うらた りえ)

ゴールボール選手:総合メディカル株式会社/九州なでしこ所属。生年月日:1977年7月1日。熊本県玉名郡南関町出身。身長159㎝。血液型:B型。

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谷真海 パラスポーツの力

教師を目指すも網膜色素変性症を発症

 小学5年生の時の担任教師に憧れ、高校卒業後福岡教員養成所に進学。熊本を離れ、福岡で一人暮らしをして教員免許取得を目指していたが、卒業の3か月前に「網膜色素変性症」を発症。徐々に視力が低下し、教育実習中に訪れたプラネタリウムで子どもの顔が見えず、教師を断念。

視覚障がいを隠していたが

 日常生活に支障をきたすほど視力が低下したものの周囲には隠して引きこもり生活を送っていたが、22歳の正月、久しぶりに帰省し両親に打ち明けたことで肩の荷が下り、視覚障がいと向き合うようになる。福岡で一人暮らしを続けながら、生活訓練学校に通って白杖を使っての歩行や点字を学んだ。

ゴールボールと出合う

 マッサージ師を新たな夢に、鍼灸・マッサージの勉強を始める。04年アテネパラリンピック日本女子の銅メダル獲得に感動してゴールボールに興味を持つと、マッサージを学んでいた国立福岡視力障害センターの体育教員・江黑直樹が日本代表ヘッドコーチで、代表選手が体育館で練習していることを知ってゴールボール部に入部。運動は苦手だったが、アテネ銅メダリストで憧れの小宮正江から刺激を受けて練習に打ち込んだ。

日本初の団体競技金メダル

 08年北京パラリンピックは8ヵ国中に7位に終わったが、12年ロンドンパラリンピックでは夏季冬季あわせて日本初の団体競技での金メダルを獲得した。

リオパラリンピックは5位

 16年リオパラリンピックでは日本代表キャプテンとして連覇を目指したが、準々決勝敗退の5位に終わった。

東京パラリンピック

 金メダル奪還を目指す東京パラリンピックでは日本選手団副主将を務め(主将はテニスの国枝慎吾)、開会式では選手宣誓を行った。

 ゴールボールでは2大会ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。

関連項目

東京パラリンピック特集

LAST UP 2021/09/04