戸田奈津子(とだ なつこ)

映画字幕翻訳者、通訳。1936年7月3日生、東京都出身。津田塾大学英文科卒業。

洋画にのめり込み

 夏に生まれ、奈津子(戸田奈津子は本名)と名づけられる。1歳の時に父親が戦死。自身は戦時中、四国・愛媛に疎開し、戦後東京に戻ると当時数少ない娯楽のひとつだった洋画にのめり込む。中学入学後は英語にも積極的に取り組み、英語と洋画の学生時代を過ごした。

通訳のアルバイト

 幼稚園から高校までお茶の水女子大学附属に通い、大学は津田塾の英文科に進学。大学時代にはアルバイトで、来日したバレエ団の通訳を務め、生の英語に触れた。

清水俊二に師事

 卒業後第一生命に入社し、社長秘書を務めるも1年半で退社。その後は雑誌や本などの翻訳のアルバイトを行う傍ら、映画字幕翻訳家を目指して字幕翻訳家・清水俊二に師事し、字幕作りの手ほどきを受ける。

字幕翻訳家デビュー

 水野晴郎(当時は日本ユナイト映画に在籍)に頼まれ、映画【 アリスのレストラン 】(70年公開)のプロデューサー来日記者会見で通訳を務めると、小規模公開のドキュメンタリー映画で字幕を担当した後、69年に映画【 野性の少年 】(70年公開)で本格的に字幕翻訳家デビュー。

地獄の黙示録の字幕を担当

 映画【 地獄の黙示録 】(80年公開)撮影中のフランシス・フォード・コッポラ監督の来日時の通訳を務めると、同映画の音楽を担当する予定だった作曲家・冨田勲(契約の関係で実現せず)の通訳として撮影現場に立ち会ったことから、コッポラ監督の推薦で字幕を担当。【 地獄の黙示録 】は大ヒット作となり、人気翻訳家の地位を築いた。なお日本を離れたのは打ち合わせでサンフランシスコを訪れたこの時が初めてだったという。

 映画字幕翻訳の第一人者として来日時の通訳を務めるなどハリウッドスターの信頼も厚い。現在は神田外語大学客員教授なども務めている。

LAST UP 2019/09/28