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中島国章(なかじま くにあき)

元プロ野球国際スカウト。1952年、京都府出身。セント・メリーズ・インターナショナルスクール高等部卒業。帰化前の名前はルイジ・フィダンザ。

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野村克也と団野村の関係と野村沙知代の影

野村沙知代との縁

 イタリア人の父と日本人の母の間に生まれる。子供の頃から大の野球好きで、高校時代はプロを目指して練習に打ち込む。団野村ケニー野村兄弟は野球部の後輩で、母親の野村沙知代(当時は野村克也と結婚前)とも面識があったことが後に野球界で働くきっかけとなる。

南海ホークスの臨時通訳に

 卒業後英語力を生かしてホテルオークラに就職したが、73年に南海ホークスの臨時コーチとして来日した元メジャーリーグ投手、ハービー・ハディックスの通訳を頼まれる。南海の野村克也プレイング・マネージャーと愛人関係にあった沙知代の依頼によるもので、野球に関わる仕事ならと喜んで引き受けた。

ヤクルトアトムズに入社

 キャンプ中だけだったものの、ちょうど通訳を探していたヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から声が掛かり、73年7月に入社。同年に入団した現役メジャーリーガー、ジョー・ペピトーンを皮切りに「赤鬼」と呼ばれたチャーリー・マニエルらの通訳を務め、今ほど外国人選手の受け入れ態勢が整っていなかった球団との間に入り、公私に渡って選手を支えた。

ホーナー旋風を巻き起こす

 87年から渉外担当として国際スカウトを兼務するようになり、同年ボブ・ホーナーを獲得して、ホーナー旋風を巻き起こす。当時の事を綴ったホーナーの著書【 地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった 】の翻訳者、「安西達夫」は中島のペンネーム。

ペタジーニ、ラミレスを獲得

 94年に編成部課長に就任して国際スカウト業務に専念。編成部次長、国際部部長を歴任してテリー・ブロス、ドゥエイン・ホージー、ロベルト・ペタジーニ、アレックス・ラミレスらを獲得し、5度日本一に貢献した。

読売巨人軍に入社

 05年6月にヤクルトを退団し、同7月に国際部参与として読売巨人軍に入社。李承燁、マーク・クルーン、アレックス・ラミレスを獲得して、2度日本一に貢献。2012年12月に定年退職した。

関連人物

ケニー野村 団野村

LAST UP 2017/06/13