ワダマメドットコム

話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

長屋宏和(ながや ひろかず)

レーサー、ファッションブランド「ピロレーシング」代表。1979年12月31日生、東京都出身。

3歳の時に父親が病死

 二人兄妹の長男として生まれる。3歳の時に歯科医だった父親が病死、その後は既製服補正の仕事を始めた母・長尾恵美子(現・株式会社アトリエロングハウス代表取締役社長)の女手一つで育てられた。

F1に魅了され

 中学1年の時、知人に誘われ鈴鹿サーキットでF1を観戦すると、それまで全く興味がなかったF1の迫力に一気に魅了され、14歳でカートレースを始める。なおレーサーへの憧れを話した時に母親から、父親もかつてレースに出場していた大のレース好きで「息子が4歳になったらカートをやらせる」と話していたことを明かされたという。

深刻ないじめに遭うも

 その後はF1ワールドチャンピオンを目指してひたすらカートに打ち込み、始めて1年後のレースで2位になり、次のレースで初優勝。堀越高校進学後も着実にステップアップして97年に「ワールドカップ・カートレース・イン・ジャパン」で3位に入賞すると全日本カート選手権では最高峰のFSAクラスに参戦した。一方で中学・高校時代は深刻ないじめに遭っていたが、カートに打ち込むことで耐えられたという。

全日本F3選手権参戦

 99年には1年間フランスの名門レーシングスクール「ラ・フィリエール」に留学し、「フォーミュラ・ルノー・キャンパス」に参戦(最高位3位)。帰国後の2000年からフォーミュラ・ドリームに参戦し、01年に初優勝を果たすと翌02年に「戸田レーシング」のF3ドライバーとして全日本F3選手権への参戦を始めた。

大クラッシュで車いす生活に

 しかし同年10月に出場した「スーパーチャレンジレース」で大クラッシュ。一命はとりとめたものの頚椎を損傷し車いす生活となる。しかしその後もF1チャンピオンをあきらめずに必死でリハビリに励み、04年12月にはカートレースに出場して完走を成し遂げた。

ピロレーシングを立ち上げ

 05年には母・長尾恵美子とチェアウォーカーのためのファッションブランド【 ピロレーシング 】を立ち上げ、ファッションショーも開催。現在は【 ピロレーシング 】を運営する一方、F1チャンピオンの夢を追い続けている。

LAST UP 2008/10/16