かまやつ ひろし/ムッシュかまやつ

歌手。1939年1月12日-2017年3月1日。東京都出身。青山学院大学中退。本名:釜萢弘(かまやつ ひろし)。父は日本ジャズ界の草分けといわれるミュージシャン、ティーブ釜萢。

歌手・森山良子はいとこ

 東京で生まれたが戦時中は山梨に疎開。戦後東京に戻り、叔父でジャズ・トランペッターの森山久の家で暮らした。森山久の娘は歌手・森山良子で、いとこに当たる。

戦後ジャズに夢中になる

 ラジオから流れるジャズに夢中になって森山久からトランペットを習い、高校時代は父・ティーブ釜萢が開いた「日本ジャズ学校」でボーカルを習う。流行していたカントリー&ウエスタンの演奏もはじめ、バンドに参加して米軍キャンプを回り、腕を磨いた。

ソロデビューするも

 「日劇ウエスタンカーニバル」などにも出演するようになり、60年に【 殺し屋のテーマ 】でソロデビュー。しかしすぐに廃盤になり、その後もレコードをリリースするも全く売れず、音楽活動の傍ら映画にも出演するようになる。

スパイダースに加入

 バンド活動の傍らゲストシンガーとして【 ザ・スパイダース 】に参加するようになり、64年に正式加入。同年には井上順も加入し、田辺昭知、井上堯之、堺正章、大野克夫、加藤充、かまやつひろし、井上順の7人が揃うとジャズ喫茶で絶大な人気を獲得し、65年に【 フリフリ 】でレコードデビュー。66年に【 夕陽が泣いている 】が大ヒット、当時のGS(グループサウンズ)ブームに乗り、空前の人気を得た。【 ザ・スパイダース 】では【 フリフリ 】のほか【 あの時君は若かった 】【 バン・バン・バン 】などの作曲を担当し音楽性を高く評価された。

スパイダース解散

 GSブームの終焉とともに【 ザ・スパイダース 】の人気も下降し、70年12月に解散を宣言、71年1月に活動を終了。

 解散後はフォークシンガーとして活動し、74年に吉田拓郎とのデュエット曲【 シンシア 】がヒット、翌年には吉田拓郎作詞作曲の【 我が良き友よ 】が大ヒットした。99年には堺正章、井上堯之と結成したユニット【 Sans Filtre 】でNHK紅白歌合戦に初出場している。

音楽センスは世代を超えて

 独特の音楽センスは世代を超えた支持を受け、若手ミュージシャンとのセッションも積極的に行い、【 コーネリアス 】のアルバム【 69/96 】などに参加している。

 17年3月、膵臓がんのため死去した。78歳だった。

LAST UP 2019/08/25