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板倉雄一郎(いたくら ゆういちろう)

企業コンサルタント。1963年12月26日生、千葉県出身。

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沖縄アクターズスクール 衰退の真相

ライブを企画しPCソフトも自作

 初恋をきっかけに小学5年から勉強に励むようになり、名門進学校・福島県立福島高校に進学。高校時代はバンド活動にのめり込む傍ら自らライブを企画して数十万円稼いだほか、パソコンソフトも自作。

20歳で社長に

 一浪して上智大学理工学部に合格するもゲームソフト会社に就職し、84年に独立してゲームソフト会社「ザップ」を設立、20歳にして社長となった。なお同年の世田谷電話局ケーブル火災により自宅の電話が混線し、複数人と同時通話をしたことが後の電話会議サービスのヒントになったという。

電話会議サービスで急成長

 ザップは20人のスタッフを抱え、自身もポルシェやBMWに乗るようになったものの次第に物足りなさを感じるようになり、89年に「国際ボイスリンク株式会社」を設立。「電話会議サービス」事業を始めて急成長を遂げたが、新事業への意欲から同社を離れ、91年に「株式会社ハイパーネット」を設立。

ネット事業に進出

 ハイパーネットは電話会議を発展させた「ハイパーダイヤル」を始めるもダイヤルQ2規制に遭ったが、92年からは電話によるマーケティングサービス「IMS」を展開して躍進し、96年にはインターネット無料接続サービス「ハイパーシステム」でネット事業に進出。大型ディスコ「ベルファーレ」で発表会を開いて日経新聞の1面を飾り、プライベートではフェラーリを所有。

貸し渋りで資金繰りが悪化

 96年には米国に現地法人を設立し、要望を受けてビル・ゲイツと会談。ニュービジネス協議会の「ニュービジネス大賞」も受賞して一躍時代の寵児となり、ナスダック公開を目前にしていたが、97年に入ると銀行による「貸し渋り」が始まって急激に資金繰りが悪化。12月に負債総額37億円でハイパーネットが倒産し、98年1月には同26億円で自己破産した。

著書を出版

 同年には成功から破産までを綴った著書【 社長失格―ぼくの会社がつぶれた理由 】を出版して話題になり、現在は板倉雄一郎事務所代表を務めて企業コンサルティングや執筆、講演活動などを行っている。

LAST UP 2011/03/21