林家木久扇(はやしや きくおう)

落語家。1937年、東京都出身。都立中野工業高校食品化学科卒業。旧名:初代林家木久蔵。本名:豊田洋(とよた ひろし)。

新聞配達で家計を助け、学費も自分で

 実家は東京・日本橋で雑貨卸問屋を営んでいたが、幼い頃に戦争により焼失。戦時中は福島、青森などで疎開生活を送る。終戦後両親が離婚したため小学4年から新聞配達をして家計を助け、学費も高校を卒業するまで全て自分で払った。高校時代は映画演劇部を作り、部長に就任。2年生の時に「劇団俳優座」の試験を受けたが不合格だった。

漫画家を目指すも

 卒業後の56年に森永乳業に入社したが漫画家を目指して退社し、同年7月に漫画家・【 清水崑 】に入門。雑用仕事をこなしながら漫画を描いていたが清水氏の勧めで落語家を志すようになり60年、三代目桂三木助に弟子入り。翌61年に桂三木助が死去したため、八代目林家正蔵(後の林家彦六)に入門した。

二つ目から笑点のレギュラーに

 二つ目時代の66年か【 笑点 】のレギュラーになり67年には結婚、73年に真打に昇進した。2000年には胃がんを発症、手術で胃の3分の2を切除したが【 笑点 】は休まなかった。

親友横山やすしと木久蔵ラーメン

 なお故横山やすしとは親しい友人で共著【 やすし・木久蔵の香港殴り込み珍道中 】も出版、81年には「全国ラーメン党」を結成し会長に林家木久蔵、副会長に横山やすしが就任した。86年にはラーメン党直営店も開店し現在も【 木久蔵ラーメン 】の販売を行っている。

 現在全国ラーメン党会長のほか落語協会理事、日本漫画家協会参与なども務めている。一番弟子の林家きく姫、実子の林家きくおなど門下生も活躍中。

落語界初の父子同時襲名

 06年10月に会見を開き、07年9月に林家きくおが真打に昇進し二代目林家木久蔵を襲名することを発表。自身の新しい名前は【 笑点 】で公募、3万通の中から『林家木久扇(きくおう)』に決定し、07年9月に襲名。落語界初の父子同時襲名となった。

LAST UP 2007/09/26