元新体操選手。元新体操日本代表ヘッドコーチ。生年月日:1949年2月25日。東京都立川市出身。東京女子体育大学卒業。
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子供の頃から運動が得意で
東京立川に3人きょうだいの末っ子として生まれる。父親は立川の米軍基地内の消防士。子供の頃から運動神経が良く、徒競走ではいつも一番だったという。
藤村女子高校に進学
中学生の時に受験雑誌で見た藤村女子高校の新体操に惹かれ、同校に進学して新体操を始める。しかし名門校ゆえ選手層の厚さから試合出場すら出来ず、高校限りで引退して就職するつもりだったが、3年生の時に一度だけ出場した大会で優勝して新体操を続け、推薦で名門・東京女子体育大学に進学。
恩師・加茂佳子のもと
恩師・加茂佳子のもとで練習に打ち込み、同大で年に1度開かれる発表会に1年生から出場。2年生からは選手に選ばれ、4年生で団体から個人に転向すると、71年に世界選手権出場を果たした。
アキレス腱を断裂
大学卒業後は立川女子高校の教員をしながら現役を続けていたが、72年、翌年の世界選手権出場に向けて行っていた合宿中に右足アキレス腱を断裂。治療中に石ころにつまづいて再び同じ右足アキレス腱を断裂し、現役を引退した。
フェアリージャパン
引退後は指導者に転身。東京女子体育大学や国士舘大学などのコーチを担当。日本代表コーチも務め、山崎浩子、秋山エリカ、川本ゆかりら多くの五輪選手を育成。08年北京オリンピックでヘッドコーチとして新体操日本代表「フェアリージャパン」を率いたが、予選敗退の10位に終わった。
北京後も日本代表ヘッドコーチを務め、日本で行われた09年世界選手権で悲願のメダルを目指すも団体総合8位。団体種目別リボン・ロープは過去最高タイの4位に入ったがメダル獲得はならず、同年にヘッドコーチを退任した。後任はロシア人のインナ・ビストロヴァ。
女子新体操永年審判表彰
17年2月、「永年審判表彰式」が行われ、長年(40年以上)にわたる1種審判員としての活動を評価され表彰を受けた。
LAST UP 2020/08/17