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話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

岩坂名奈(いわさか なな)

元バレーボール選手。生年月日:1990年7月3日。福岡県福岡市出身。東九州龍谷高校卒業。ポジション:ミドルブロッカー。身長187㎝。血液型:O型。ニックネーム:ナナ。

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身長がコンプレックス

 子供の頃から飛び抜けて背が高かったがそれがコンプレックスで、外出が嫌だったり猫背になったりしていたという。

タモリは中学の先輩

 福岡市立高宮中学校入学後バスケ部に入るつもりが練習見学に行った日が休みで、そのタイミングで友達に誘われたバレー部に入部。バレーを始めてから長身は武器だと胸を張れるようになったという。

 なお同校はタモリ、高橋真梨子、森口博子、氷川きよしら多くの著名人を輩出している。

名門東龍で全国優勝

 中学時代は無名だったが、長身を買われて全国屈指の強豪・東九州龍谷高校に進学すると1年生からレギュラー入りして春高準優勝。2年生の春高では決勝で田代佳奈美擁する古川学園をストレートで破って優勝した。高校時代はインターハイ優勝も飾り、日本代表として出場したアジアユース選手権、アジアジュニア選手権でも優勝している。

久光製薬入団

 卒業後は久光製薬で活躍し、13/14、15/16V・プレミアリーグでベスト6を受賞。18/19シーズンはキャプテンを務めてリーグ連覇を達成、V.LEAGUE DIVISION1初代王者に輝いた。

 久光製薬スプリングスは20/21シーズンからチーム名を『久光スプリングス』に変更した。

日本代表

 日本代表には09年度の登録メンバーに初選出される。11年のモントルーバレーマスターズで日本の初優勝に貢献し、ベストサーバー賞を受賞。

 12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪出場はならなかったが、新たに就任した中田久美監督のもと、17年にキャプテンに指名される。同年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献し、セカンドベストミドルブロッカー賞を受賞した。

東京オリンピックに向けて

 2020年度日本代表登録メンバーに選ばれたが、3シーズン務めたキャプテンは荒木絵里香に代わった。

現役引退

 20-21V.LEAGUE DIVISION1でVリーグ栄誉賞を受賞。21年6月30日付で現役を引退した。

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LAST UP 2021/07/27

古賀太一郎(こが たいちろう)

プロバレーボール選手:FC東京コーチ兼選手。1989年10月4日生、長崎県佐世保市出身。国際武道大学卒業。ポジション:リベロ。身長170cm、体重70kg。血液型:A型。背番号10。

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兄もVリーガー

  4人きょうだいの末っ子として生まれる。5歳上の兄・幸一郎もウルフドッグス名古屋でキャプテンを務めるバレー選手で、ポジションも同じリベロ。

部員が二人のバレー部

 幸一郎の影響で小学生でバレーを始める。中学校でもバレー部に入部したが部員が二人しかおらず、試合の時は人数合わせで他の部に応援を頼み、吹奏楽部に出場してもらうこともあったほどで目立った成績は残せず。

兄のおかげで強豪に

 県内の強豪・佐世保南高校に進学。中学時代は無名ながら強豪に入れたのは「古賀幸一郎の弟」という兄の名前のおかげだという(幸一郎は佐世保北高校出身)。高校ではスパイクにトスにレシーブにマルチプレーヤーとして活躍し、兄と同じ国際武道大学に進学。

出場機会を求めて海外移籍

 大学でリベロとなり、12年にVリーグ・豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。13年にユニバーシアード代表に選ばれ銅メダルを獲得するも、豊田合成は兄が不動のレギュラーだったため出場機会を得られず、15年にフィンランドリーグのコッコラ・ティーケリに移籍。

最高峰ポーランドリーグ移籍

 MVPを獲得した活躍を認められ、翌年フランス1部リーグ、パリ・バレーに移籍。17年には世界のトップリーグの1つであるポーランドリーグ1部のザヴィエルチェに移籍した。日本選手が同リーグでプレーするのは初めて。

5年連続海外でプレー

 プロ選手として所属するウルフドッグスのサポートを受けてプレーし、ザヴィエルチェでは1年目にオールスター出場し、19-20も同チームでプレー。

コーチ兼選手としてFC東京移籍

 20年7月、ウルフドッグス名古屋を退団し、コーチ兼選手としてFC東京に移籍加入することが発表された。5シーズンぶりの日本でのプレーとなる。

 20年度男子日本代表登録メンバーにも選ばれている。

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20年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2020/07/04

佐藤美弥(さとう みや)

元バレーボール選手。生年月日:1990年3月7日。秋田県秋田市出身。嘉悦大学卒業。身長175cm。ポジション:セッター。ニックネーム:ミイ

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江畑幸子は幼稚園の同級生

 秋田県秋田市に3人兄妹の末っ子として生まれる。後のチームメイト・江畑幸子(現PFU)は幼稚園の同級生。

6年生でセッター

 友達に誘われ、小学4年でバレーを始める。水泳とピアノをやめてバレーに専念し、6年生でセッターに抜擢。所属していた「港北スポーツ少年団」の指導は厳しく、泣きながらトスをあげたこともあったという。

高校時代は地元国体3位

 地元秋田の強豪・聖霊女子短期大学付属高校に進学。チームメイトとなった江畑とともに活躍して、3年生の時に地元・秋田で開かれた国体で3位。高校限りでバレーをやめるつもりだったが、菅原貞敬(元日立監督)に「東京の大学へ行ってバレーを続けなさい」と勧められ嘉悦大学に進学。

日立リヴァーレ入団

 大学では主将も務め、東西インカレで優勝して、MVPを受賞。10年には全日本メンバーに登録され、卒業後当時V・チャレンジリーグだった日立リヴァーレに入団、再び江畑とチームメイトとなる。

Vリーグ

 12/13シーズンでチームのV・プレミアリーグ昇格に貢献。15/16V・プレミアリーグではチーム初のファイナル進出に貢献し、敢闘賞とベスト6を初受賞。16年はリオ五輪に向けた全日本合宿に参加したが、メンバーには選ばれなかった。

 長身のセッターとして活躍し、かつては日立の主将を担当。日本代表でも活躍し、17年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献した。

現役引退

 20年8月の日本代表の紅白戦で右アキレス腱を損傷。治療・リハビリに努めるもVリーグ開幕戦で再び同じ箇所を負傷。持病の腰痛も悪化して目標にしていた東京オリンピック出場を断念。21年5月に現役引退を発表した。

セッター婚

 21年9月、男子日本代表のセッター・藤井直伸と結婚したことを発表した。

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栗原恵 中田久美 藤井直伸

LAST UP 2021/09/29

三屋裕子(みつや ゆうこ)

日本バスケットボール協会(JBA)会長。元バレーボール日本代表。1958年7月29日生、福井県出身。筑波大学卒業。同大学院修士課程体育研究科修了。身長177cm。

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高身長で注目を集める

 子供の頃は身体が弱く家にこもりがちだったが、小学4年から急激に身長が伸び始め、小学校卒業時に170cmに到達。中学入学後バドミントン部に入部するも、コンプレックスだった長身を生かせるバレー部に移籍した。

バレーボールブームで

 当時は【 サインはV 】【 アタックNo.1 】の影響で100人を超える部員がいたが、1年夏からレギュラー入り。3年夏には全国大会に出場、1回戦敗退も大会最長身選手として注目された。中学時代は陸上部にも所属し、走り高跳び、走り幅跳びで好成績を残している。

名門八王子実践に進学するも

 多くの強豪校、実業団から誘われ、前年に史上初の高校3冠を達成した名門・八王子実践高校に進学。入学後すぐにレギュラー入りしたが、直後に右肩を故障。慣れない寮生活や厳しい練習で精神的にもボロボロになった上、心臓も患い、練習はおろか通学さえままならないほど衰弱した失意の1年を送る。

モスクワ五輪ボイコット

 その後立ち直ると教師を目指して勉強にも励み、筑波大学に進学。大学時代にレフトからセンターに転向し79年、大学3年で全日本に初選出。 80年モスクワ五輪は金メダル候補だったが、日本がボイコットした。

日立黄金時代

 81年に大学を卒業して日立に入社し、日本リーグ6連覇、88連勝を達成した日立黄金時代の一員として活躍し、第17回日本リーグではスパイク決定率57.4%を記録。日本代表としても84年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した。

教員採用試験に合格

 82年に東京都教員採用試験に合格。ロサンゼルス五輪を最後に現役を引退し、同年9月に國學院高校に体育教師として着任。85年4月からは学習院大学に移る。その後退職し、筑波大学大学院で学ぶ傍らスポーツキャスターとしても活躍、89年にはベストジーニストに選ばれた。

シャルレ社長に

 04年6月、株式会社シャルレ代表取締役社長に就任。同社は06年に商号を株式会社テン・アローズに変更。07年6月の株主総会で社長職を解任された。

日本バスケットボール協会会長

 Jリーグ理事や日本バレーボール協会理事などを歴任し、16年6月に日本バスケットボール協会会長に就任。現在スポーツや教育など様々な分野で活躍している。

 20年6月、日本バスケットボール協会会長に再任された。3期目となる。任期は21年9月まで。

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大林素子 中田久美

LAST UP 2020/06/28

峯村沙紀(みねむら さき)

NECグリーンロケッツ副務。元バレーボール選手。1990年4月18日生、長野県出身。九州文化学園高校卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長178cm。ニックネーム:サキ。

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強豪チームでバレーを始める

 小学2年の時、かつて西堀健実(ビーチバレー選手)も所属した「小布施スポーツ少年団」でバレーボールを始める。6年生の時に全日本小学生大会で優勝し、裾花中学時代はチームメイトの田代佳奈美らと2年、3年と全日本中学校選手権を連覇し、2大会とも優秀選手賞を受賞。3年生はJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)でも優勝してJOC・JVAカップ、オリンピック有望選手、大阪府知事賞を受賞した。

小中高すべてで全国制覇

 九州文化学園高校では入学直後からレギュラー入りし、1年生で国体、2年生でインターハイを制して小・中・高全てで全国優勝を達成。春高は07年がベスト16、08年はベスト8に終わって優勝はならなかったが、08年のアジアジュニア選手権では日本の優勝に貢献。将来の全日本エース候補として期待され、09年4月に東レに入団すると同年度の全日本登録メンバーに初選出された。

黄金時代の東レに入団するも

 しかし当時東レは荒木絵里香木村沙織、高田ありさらを擁しリーグ3連覇を達成した黄金時代で出場機会に恵まれず。荒木木村ら全日本メンバーを欠き、若手主体で臨んだ12年5月の黒鷲旗では準優勝に貢献し、敢闘賞とベスト6を初受賞した。

NECに移籍

 13年9月に前十字靭帯断裂の怪我を負いながらも復帰し、15/16、16/17シーズンは東レのキャプテンを務めたが17年6月に膝を手術、17/18シーズンは出場ゼロに終わる。新天地を求めて18年6月に東レを退団、8月にNECレッドロケッツに入団した。

現役引退、ラグビー界入り

 19-20シーズンをもって現役を引退。20年6月、NECラグビーフットボール部(NECグリーンロケッツ)副務に就任した。

バレー一家

 父・保さんは元長野日大高校バレー部監督。兄・幸太は日体大で全日本インカレ優勝を経験した、元VC長野トライデンツ選手兼コーチ。弟・雄大も中学時代にJOC杯でオリンピック有望選手に選ばれ、高校でも全日本ジュニアオールスタードリームマッチに出場、日体大で主将を務め、現在は東レアローズ(男子)に所属するなどバレー一家として知られる。

関連人物

荒木絵里香 木村沙織 田代佳奈美

LAST UP 2020/06/06

荻野正二(おぎの まさじ)

サントリーサンバーズアンバサダー。1970年1月8日生、福井県出身。福井工業大学附属福井高校卒業。身長197cm、体重98kg。現役時代のポジションはウイングスパイカー。ニックネーム:オギ。

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長身から素人ながら強豪校へ

 子供の頃はソフトボールや剣道、柔道を習い、中学時代は野球に打ち込むなどバレーとは無縁の人生を送っていたが、中学3年で190cmを超えた長身を買われ、地元のバレー強豪校・福井工大福井高校から誘われて進学。

高卒でサントリー入団

 素人ながら強豪校に加わったためひたすら猛練習に励み、2年生になると注目される選手に成長して実業団の強豪・サントリーに入団。男子選手の多くが大学を経て実業団入りする中、高卒で入団したため周りの大卒選手に負けじと人並みはずれた練習量をこなして実力を付け、サーブ賞、レシーブ賞、ベスト6など多くの賞を受賞。04年には史上初のVリーグ5連覇を達成した。

バルセロナ五輪

 全日本には19歳の時に初召集。以降全日本に定着し、92年バルセロナ五輪にも出場(6位入賞)。しかしアトランタ五輪は最終予選で敗退し出場を逃した。

16年ぶりの五輪を決めたスパイク

 98年世界選手権を最後に全日本から遠ざかっていたが、05年に就任した植田辰哉監督のもとで7年ぶりに召集されると、女子の主将としてチームを支えた吉原知子のような存在になることを期待されて主将に就任。期待通り精神的支柱として活躍し、北京五輪最終予選では16年ぶりとなる出場権を獲得。出場が決定したアルゼンチン戦では最後のポイントを自らのスパイクで決めた。自身2度目の五輪となった北京オリンピックは5戦全敗で1次リーグ敗退だった。

サントリー監督として

 2009/10V・プレミアリーグ限りで現役を引退。スタッフとしてサントリーに残って後進の育成に当たり、母校の福井高校を運営する金井学園の特別コーチも務めていたが、10年8月にサントリーサンバーズのヘッドコーチに就任。それまでの攻撃型から守備型へチームを変えるなど積極的に強化に乗り出し、同年12月の天皇杯(全日本選手権)では10年ぶりの優勝を飾った。

 13年からサントリーのアドバイザーとなり、15年には1年間ブラジルにコーチ留学。17年10月、6季ぶりに監督に復帰した。

アンバサダーに

 19-20シーズン限りで監督を退任(後任は山村宏太)。新たにアンバサダーに就任、普及活動などに取り組むという。

関連人物

植田辰哉 津曲勝利 山村宏太 吉原知子

LAST UP 2020/0601

山村宏太(やまむら こうた)

サントリーサンバーズ監督。生年月日:1980年10月20日。東京都出身。筑波大学卒業。身長205cm、体重97kg。ポジション:ミドルブロッカー。ニックネーム:ヤマコフ205。

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身長55cm、体重4300gの巨大児

 父親の赴任先の米国・カリフォルニアで身長55cm、体重4300gの巨大児として生まれる。2歳で帰国。小学3年でバレーを始め、中学校でもバレー部に入部したが、弱小校だったため目立った活躍はできず。漫画【 ブラック・ジャック 】の影響で医者に憧れて勉強に励み、進学校の錦城高校に入学した。

長身から高校選抜に

 高校ではバレーをやらないつもりだったものの、すでに190cmを超えた長身ゆえ熱心に誘われてバレー部に入部。強豪校ではなく、3年間で都大会ベスト8が最高だったが、長身が関係者の目に留まって2年生の時に高校選抜の選考合宿に参加。3年生で高校選抜に選ばれ中国遠征にも参加した。

4年連続インカレ優勝

 推薦で筑波大学に進学し、入学直後からレギュラー入り。4年生の時は主将も務め、同期の朝長孝介らと、4年連続で全日本インカレを制して同大の6連覇に貢献。02年に全日本に初選出された。

北京五輪出場

 03年にサントリー入社。以降サントリー、全日本で活躍。04年のアテネ五輪は最終予選敗退に終わったが、05年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献。07/08V・プレミアリーグでベスト6賞を初受賞すると、08年の世界最終予選で16年ぶりとなる五輪出場権を獲得。北京オリンピックにも出場したが、5戦全敗で1次リーグ敗退に終わった。

 08/09V・プレミアリーグでは2年連続のベスト6賞とスパイク賞を初受賞。10年の世界選手権では欠場の宇佐美大輔に代わってキャプテンを務めた。

通算出場試合数新記録

 11/12V・プレミアリーグでは通算230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞。16年10月に通算出場試合数が332となり、Vリーグ男子の新記録を樹立した。

現役引退、監督就任

 17年5月の黒鷲旗限りで現役を引退し、サンバーズのコーチに就任。20年6月、荻野正二の後任としてサンバーズ監督昇格が発表された。なお07年に結婚した妻とは身長差が52cmもあるという。

就任1年目V

 20-21V.LEAGUE DIVISION1では監督就任1年目にして14季ぶり8度目の優勝に導き、優勝監督賞と松平康隆賞を受賞した。いずれも初受賞。

関連人物

荻野正二 津曲勝利 朝長孝介

LAST UP 2021/09/18

吉田真未(よしだ まみ)

元バレーボール選手。1986年6月5日、福岡県出身。博多女子高校卒業。ポジション:リベロ。身長160cm。ニックネーム:ガッツ。現姓:遠田。

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アニメ髙橋藍物語

大久保嘉人といとこ

 同じ福岡県京都郡出身のサッカー元日本代表・大久保嘉人はいとこで、幼い頃はよくお互いの家に泊まりあったという。

レシーブを叩き込まれ

 小学2年でバレーを始めると、抜群の身体能力でみるみる上達。中学時代はアタッカーだったが部員が3人しかいない時期があり、その分しごかれ、レシーブを叩き込まれたことが、粘り強く食らいつく後のプレーにつながったと言う。

高校でリベロ転向

 名門・博多女子高校に進学し、リベロに転向。ガッツあふれるプレーから「ガッツ」のニックネームをつけられた。偶然にもガッツ石松と同じ誕生日(6月5日)。

パイオニア入団

 05年にVリーグ・パイオニアレッドウィングスに入団。当時のチームメイトで全日本選手の吉原知子、多治見麻子らに刺激され、2年目の06/07シーズンからレギューに定着。

全日本に選出

 キャプテンとしてチームをまとめながらリーグ屈指のリベロとして活躍し、13年には初めて全日本に選ばれた。

引退結婚出産

 14年5月にパイオニアレッドウィングスの廃部が発表される。それに伴い、7月に現役引退と結婚を発表した。15年に第一子の長男を出産し、現在は一男一女の母。

 現在はバレーの指導や解説などを行っている。

関連人物

吉原知子

LAST UP 2020/05/22

中道瞳(なかみち ひとみ)

東レアローズ女子バレーボール部コーチ。1985年9月18日生、京都府出身。京都橘高校卒業。身長159cm。ポジション:セッター。ニックネーム:ミチ。

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セッターが楽しくて

 友達に誘われ小学2年で名門「城陽ジュニア」に入部。喘息持ちで病気がちな身体を鍛えるつもりも名門ゆえの厳しい練習が嫌で仕方なかったが、5年生で始めたセッターが楽しくなって練習に打ち込むようになり、6年生で全日本小学生大会3位。当時は背が高い方だったが中学以降ほとんど伸びていないという。

京都橘高校に憧れ中1で転校

 地元の中学校に進学したものの1年生ゆえ試合に出られず、このままでは憧れの京都橘高校進学が厳しくなると考え、1年生の途中で同級生と一緒に滋賀の甲良中学に転校。二人暮らしをして練習に励み、全国大会出場も果たして京都橘に進学した。

東レ入団

 京都橘高校では恩師・三輪欣之監督からセッターの技術を教え込まれて春高3位。3年生の国体では悲願の日本一を達成し、04年に東レ入団。3年目に正セッターとなり、07/08V・プレミアリーグで初優勝に貢献してベスト6賞を受賞。翌年Vリーグ女子初の2連覇、09/10は3連覇を達成し、09、10年には黒鷲旗も連覇。10/11V・プレミアリーグは東日本大震災の影響で打ち切りとなって4連覇はならず準優勝に終わったが、11/12は2年ぶりの優勝を飾り、3年ぶり3回目のベスト6賞を受賞した。

全日本

 全日本には10年に初選出され、同年の世界選手権で32年ぶりのメダル(銅)に貢献。11年のモントルーバレーマスターズでは日本の初優勝に貢献してMVPを受賞。12年ロンドン五輪では銅メダルを獲得した。

現役引退

 東レではキャプテンも務めたが、15年5月に現役引退を発表。東レのコーチに就任し、17年にはチーム事情により選手登録されたが、17年5月に東レアローズを退団。今後は社業に専念するという。

コーチ復帰

 20年5月、東レアローズ女子バレーボール部コーチに再任したことが発表された。

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越谷章 田代佳奈美 堀川真理

LAST UP 2020/05/16

堀川真理(ほりかわ まり)

東レアローズ女子バレーボール部マネージャー。元バレーボール選手。1992年5月3日生、東京都出身。共栄学園高校卒業。身長183cm。ポジション:ウイングスパイカー。ニックネーム:ジュリ。

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ハーフにコンプレックス

 カナダ人の父と日本人の母の間に生まれる。父は190cm超、母も170cm台後半の長身で、母の影響で小学3年でバスケットボールを始めるも、すぐに突き指して恐怖心を抱き断念。『上野エンジェルス』に入団してバレーを始めた。いじめはなかったが子供の頃は人目が気になり、ハーフであることがコンプレックスだったという。

大型サウスポー

 春高で優勝した共栄学園のエース・大槻真弥(元デンソー)に憧れ、共栄学園中学に進学。東京都代表として出場した3年生のJOCジュニアオリンピックカップでJVA・JOCカップとオリンピック有望選手を受賞し、大型サウスポーとして注目を集める。

世界ユースでベストスパイカー

 高校時代は全日本ユースに選ばれ、アジアユース選手権優勝に貢献しMVPを受賞。世界ユース選手権ではベストスパイカーに選ばれた(日本は5位)。

東レ黄金時代に入団

 11年に東レに入団するも、当時はリーグ3連覇も達成した東レ黄金時代で、木村沙織、迫田さおりらエースアタッカーが揃っていたうえ怪我にも泣かされ、長らく出番に恵まれずにいたが、16/17シーズにブレイク。サウスポーと持ち前のパワーを生かして活躍し、レギュラーの座を獲得。17年3月には中田久美監督のもと全日本候補に選出され、グラチャンの出場メンバーにも選ばれた。

現役引退

 18-19シーズンにキャプテンに就任。2シーズン務めたが、19-20シーズン限りで現役を引退、東レアローズ女子バレーボール部マネージャーに就任した。

関連人物

木村沙織 越谷章 中道瞳

LAST UP 2020/05/16