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話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

佐野優子(さの ゆうこ)

元バレーボール選手。1979年7月26日生、大阪府出身。北嵯峨高校卒業。ポジション:リベロ。身長159cm。ニックネーム:リョウ。

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アニメ髙橋藍物語

バレーに没頭

 小学4年で始めたバレーに没頭し、両親の反対を押し切って奈良の強豪・上牧中学校に進学。親元を離れて打ち込むも中学で終わりにするつもりだったが、才能を惜しんだ周囲の勧めで名門・北嵯峨高校に進学。インターハイ3位。

新設のリベロに転向

 98年にユニチカに入社し、同年に新設されたポジション・リベロに転向。2000年にユニチカバレー部が廃部したため、バレー部ごと東レに移籍し、02-03年の第9回Vリーグではサーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を受賞した。

アテネ五輪出場ならず

 02年に吉川正博監督のもと全日本に初選出。03年に就任した柳本晶一監督のもとでも全日本入りし、メグカナ人気に沸いた同年のワールドカップでも活躍。しかし04年のアテネ五輪最終予選では成田郁久美がリベロに起用され、五輪代表にも成田が選ばれた。

フランス移籍

 03年8月に東レを退社。しかし移籍同意書が得られず、日本バレーボール協会(JVA)所属という形になったが、04年5月にフランスリーグ・RCカンヌに入団。2シーズンプレーし、06年にはヨーロッパチャンピオンズリーグ・ベストリベロ賞を受賞した。

北京五輪出場

 06年6月、熱心な誘いを受けて久光製薬スプリングスに移籍し、06/07V・プレミアリーグ優勝に貢献してベストリベロ賞を受賞。07年には4年ぶりに全日本に復帰し、08年の世界最終予選で五輪出場権獲得に貢献。悲願の初出場を果たした北京五輪は準々決勝敗退の5位だった。

アゼルバイジャン移籍

 08/09V・プレミアリーグは準優勝で、敢闘賞、サーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を受賞。09/10も不動のリベロとして活躍したが、10年7月に久光製薬を退団し、アゼルバイジャン1部リーグIgtisadchi(イトゥサチ)に移籍。同年の世界選手権では銅メダルを獲得した。

ロンドン五輪銅メダル

 12年ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルを獲得し、五輪後ヨーロッパチャンピオンズリーグ限定の契約で、トルコ1部リーグのガラタサライ・ダイキン移籍。チャンピオンズリーグ準決勝で、木村沙織が所属するワクフバンクに敗れたが、ベストレシーバー賞を受賞。13年4月、スイスの強豪・ボレロ・チューリヒ移籍を発表した。

日本復帰

 14年1月、デンソーエアリービーズに入団。選手兼アシスタントコーチとして全日本にも復帰すると同年のワールドグランプリでは初の銀メダル獲得に貢献し、MVPとベストリベロ賞に輝いた。

 15年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退した。

関連人物

大山加奈 木村沙織 栗原恵 柳本晶一

LAST UP 2019/09/13

石田瑞穂(いしだ みずほ)

デンソーエアリービーズ アドバイザリースタッフ。元バレーボール選手。1988年1月22日生、群馬県出身。高崎商科大学附属高校卒業。身長174cm。ポジション:WS。ニックネーム:ミズホ。

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アニメ西田有志物語

小学3年でバレーを始める

 ママさんバレーをしていた母親の影響で、小学3年でバレーボールを始める。抜群の運動神経と厳しい練習で実力を付け、中学3年の時に群馬選抜に選ばれ全国都道府県対抗中学大会に出場。

武富士バンブー入団

 県内の名門・高崎商大附属高校から誘われて進学し、2年連続春高出場。2年生の春高でベスト8入りすると、予想していなかったというVリーグからの誘いが2チームもあり、体験入部で雰囲気に魅かれた武富士バンブーに入団した。

アタッカーとしては小柄も

 174cmとアタッカーとしては小柄ながらパワフルなスパイクを武器に1年目からVリーグに出場。全日本ジュニアでも活躍し、キャプテンを務めた06年アジアジュニア選手権で準優勝し、翌年の世界ジュニア選手権は3位。

久光製薬移籍

 09年5月に武富士バンブーが廃部したため久光製薬スプリングスに移籍し、同年の全日本選手権で優勝。同年は全日本に初選出され、グラチャンでは怪我で離脱した栗原恵の代わりも務める。10年の世界選手権3位決定戦では劣勢の場面で途中出場、流れを変えて勝利を呼び込み、32年ぶりのメダル(銅)獲得に貢献した。

日本人最多得点

 11/12V・プレミアリーグでは日本人最多得点をマークして準優勝に貢献し、敢闘賞とベスト6を初受賞。ロンドン五輪最終予選はエントリーメンバーに選ばれていたが、出場メンバーからは外れ、五輪代表にも選ばれなかった。

デンソー移籍

 14年6月に久光製薬を退団し、デンソーに移籍。しかし移籍規定により14/15V・プレミアリーグは出場出来ず。

 翌シーズンからVリーグに復帰。主将も務め、16/17シーズンには230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞。17年の黒鷲旗では優勝に貢献し、黒鷲賞とベスト6を受賞した。

 19年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退。デンソーエアリービーズのアドバイザリースタッフに就任した。

関連人物

栗原恵

LAST UP 2019/09/13

渡辺啓太(わたなべ けいた)

バレーボールアナリスト。生年月日:1983年9月30日。東京都出身。筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ健康システム・マネジメント専攻修了。

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アニメ西田有志物語

子供の頃からパソコンに触れる

 小学校の校長だった父親がパソコン好きだった影響で、子供の頃からパソコンに触れる。中学時代には妹の算数プリントを自作したという。

データバレーと出合う

 中学校でバレーを始め、浅野学園中学・高校時代はエースアタッカーとして活躍。一方で高校1年の時、テレビのバレー中継で、ベンチにノートパソコンが置かれているのに興味を覚え、インターネット検索で「データバレー」の存在を知る。その後は国際大会があれば会場に通ってベンチサイドのスタッフを観察し、自己流のデータバレーを部活動に取り入れた。

プログラミングに没頭

 AO入試で、スポーツでのデータ活用の有用性をプレゼンし、専修大学ネットワーク情報学部に合格。バレー部に入部したものの選手としては通用せず、監督の勧めで1年の終わりにサブマネージャー兼アナリストに転身、大学の研究所にこもってプログラミングに没頭した。

「男はロマンを追わなあかん」

 04年2月、柳本晶一監督率いる全日本女子チームのアナリストに抜擢される。2大会ぶりとなる04年アテネ五輪出場に貢献してチーフアナリストに昇格、06年に専属アナリストとなった。それまでは必要な時だけ召集されていたが、柳本監督に「男はロマンを追わなあかん」と口説かれ、決まっていた就職を蹴り、新設された『専属アナリスト』のポストに就いたという。

iPadを駆使して銅メダルに貢献

 08年北京五輪では日本選手団最年少役員としてチームに帯同(アテネ五輪は現地に派遣されていない)。眞鍋政義監督のもとでもチーフアナリストを務め、09年にはイタリア・セリエAノヴァラに留学。

 10年の世界選手権では、新に導入した【 iPad 】を駆使して32年ぶりの国際大会でのメダル(銅)獲得に貢献。12年ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した。

アナリストとして

 現在は日本スポーツアナリスト協会代表理事、國學院大學人間開発学部健康体育学科准教授なども務めている。

東京オリンピック

 21年の東京オリンピックではバレーボール女子日本代表のチームリーダーを務めたが、96年アトランタ以来25年ぶりとなる1次リーグ敗退だった。

関連人物

柳本晶一 中田久美

関連項目

東京オリンピック特集

2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/09/09

朝長孝介(ともなが こうすけ)

長崎県立大村工業高校バレーボール部監督。元バレーボール日本代表。1980年7月22日生、長崎県出身。筑波大学卒業。ポジション:セッター。身長184cm、体重83kg。ニックネーム:コウスケ。

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大村工業との縁

 幼い頃は剣道を習っていたが、小学3年の時に見たバレーシューズのかっこよさに惹かれてバレーボールを始める。中学時代は長崎県選抜に選ばれ、地元の強豪・大村工業高校に進学した。進学にあたって大村工業か大村高校かで悩み、一度は大村高校に決めたものの願書提出日に費用1300円を忘れて提出できず、縁を感じて大村工業に変更したと言う。

大学NO.1セッター

 高校2年でアタッカーからセッターに転向し、春高、インターハイ、国体の3大大会すべてに出場して春高ではベスト8に進出。しかし大学ではなかなかレギュラー入りできず、モッパーやドリンク係をする日々が続いたが、セッター経験の浅さを補うため豊富な練習量をこなしてレギュラーの座を獲得し、全日本大学選手権優勝に貢献。セッター賞を受賞し、大学NO.1セッターと呼ばれた。

全日本の正セッターに

 大学卒業後はVリーグ・豊田合成トレフェルサで活躍。05年に全日本に初選出され、同年のアジア選手権で正セッターとして10年ぶりの優勝に貢献し、全日本に定着。06年4月に堺ブレイザーズに移籍した。

北京オリンピックに出場

 北京五輪最終予選でも活躍し、16年ぶりとなる五輪出場権獲得に貢献。北京五輪にも出場したが、5戦全敗で1次リーグ敗退に終わる。五輪後の08年10月、08/09シーズン限りで現役を引退し、高校の教員になることを発表した。

母校の監督に

 08/09V・プレミアリーグでは堺ブレイザーズの準優勝に貢献して敢闘賞を受賞。有終の美を飾り、09年春から長崎県立長崎北高校の保健体育科教員となった。

 現在は母校・大村工業高校でバレーボール部監督を務めている。

関連人物

山村宏太

LAST UP 2019/08/21

田代佳奈美(たしろ かなみ)

バレーボール選手:デンソーエアリービーズ所属。1991年3月25日生、滋賀県出身。古川学園高校卒業。ポジション:セッター。ニックネーム:ジン。身長173cm。

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アニメ関田誠大物語

栗東市生まれで父は調教助手

 滋賀県栗東市に3人兄姉の末っ子として生まれる。父親は日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニング・センターの調教助手、母親は元実業団バレー選手。

遊ぶ暇もないほどの練習

 地元に出来たバレーチーム『はやぶさジュニア』のコーチに母親が就任したのをきっかけに、小学1年でバレーを始める。その後は遊ぶ暇もないほど毎日練習に打ち込み、小学3年でセッターとなった。3800gで生まれ子供の頃から身体が大きく、チーム最長身ゆえアタッカーを勧める声もあったが、母親の「将来を見据えたら、セッターの方がいい」との助言に従ったと言う。

中学1年でバレー留学

 地元の中学校に進学したものの長野県の強豪・裾花中学から誘われ、父親の猛反対を押し切って中学1年で転校。先輩の家に下宿してチームメイトの峯村沙紀らと活躍し、長野選抜として出場したJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)で優勝。

春高準優勝

 古川学園高校時代は春高準優勝。アジアユース選手権では優勝して、長身セッターとして評価され、09年に地元滋賀に本拠地を置く東レアローズに入団した。峯村沙紀も同期入団している。

東レ時代

 東レではエースセッター・中道瞳を手本に更なる成長を遂げ、12年にはアジアカップに出場。13年の第1回世界U-23女子選手権では主将を務めて銅メダル獲得に貢献した。

 15年に中道瞳が現役を引退。15/16シーズンから東レの副キャプテンとなり、キャプテンに就任した峯村沙紀とともにチームを支えた。

 16年にはリオデジャネイロ五輪に出場した(日本は5位)。

デンソー入団

 18年6月に東レを退団、9月にルーマニアのCSMブカレストに移籍し、1シーズンプレー。19年6月にデンソーに入団した。

東京オリンピック

 自身2度目の五輪となった21年東京オリンピックは1次リーグ敗退だった。

関連人物

大竹里歩 中道瞳 鍋谷友理枝 峯村沙紀
2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/08/21

大友愛(おおとも あい)

元バレーボール選手。1982年3月24日生、宮城県出身。仙台育英高校卒業。ポジション:MB。身長184cm。ニックネーム:ユウ。

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アニメ西田有志物語

中学でバレーを始める

 宮城県仙台市に3人兄弟の長女として生まれる。長身に目をつけた友人の姉に誘われ、中学入学後バレーを始める。初めはサボリがちだったが、2年生の時に就任した新コーチの指導で面白さを知って練習に打ち込み、宮城選抜に選ばれ、さわやか杯(全国都道府県対抗中学大会)に出場。高校時代は古川商業(現古川学園)に阻まれ全国大会出場はならなかったが、日本代表として出場した世界ユース選手権で優勝した。

柳本監督と合わず全日本を辞退

 2000年にNECレッドロケッツに入団し、00-01年の第7回Vリーグで新人賞を受賞。01年には吉川正博監督の下で全日本に初召集され、グラチャンで銅メダルを獲得したが、03年に就任した柳本晶一監督の指導に馴染めず、控えにされたことに不満を抱いて全日本を辞退。しかし同年に母、翌年に祖父が相次いで他界したのを機に気持ちを改め、04年に全日本に復帰。2大会ぶりの五輪出場権獲得に貢献し、アテネ五輪にも出場した(日本は5位)。

結婚出産復帰

 05年に写真集【 I Love・・・ 】を出版するなどアイドル選手として活躍していたが、06年1月にビーチバレー選手・山本辰生との結婚・妊娠を発表して現役を引退。8月に長女を出産し、子育てに専念するつもりだったものの久光製薬の眞鍋政義監督(当時)から熱心に誘われ、08年に「山本愛」として現役復帰。翌年JTマーヴェラスに移籍すると10年には眞鍋監督の下全日本に復帰し、世界選手権で32年ぶりのメダル(銅)を獲得した。

JTの初優勝に貢献

 10/11V・プレミアリーグでは創部以来初の優勝に貢献し、11年の黒鷲旗でも初優勝を飾って黒鷲賞を受賞。しかし11年9月、アジア選手権の試合中に右膝の前十字靱帯と内側側複靱帯を損傷、手術を受け全治6ヶ月でワールドカップのメンバーから外れた。

ロンドン五輪銅メダル

 12年3月に離婚し、以降「大友愛」として活動。最終予選のメンバーからは外れたが、ロンドン五輪のメンバーには選ばれ、28年ぶりの銅メダルを獲得。12-13年シーズン限りで現役を引退した。

再婚出産

 13年8月、柔道家の秋本啓之と再婚。14年に第2子の長男、15年に次女、17年に三女を出産し、現在は4児の母。

 現在は竹下佳江狩野舞子らと結成した『ヴィクトリーナドリームス』で、中学校での技術指導などを行っている。

関連人物

狩野舞子 竹下佳江 柳本晶一

LAST UP 2019/06/10

栗原恵(くりはら めぐみ)

元バレーボール選手。1984年7月31日生、広島県出身。三田尻女子高校(現・誠英高校)卒業。身長187cm。ニックネーム:コウ。

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3950gで生まれ小学6年で176cm

 日新製鋼のバレー選手だった父とママさんバレー選手の母のもと、小学4年で本格的にバレーを始める。3950グラムで生まれ、小学6年で176cmはあったという。

中学からバレー留学

 地元の中学に進学したが、兵庫の強豪・大津中学校から誘われ2年生で転校。姫路で一人暮らしをして練習に打ち込み、アクエリアス杯(全国都道府県対抗中学大会)でオリンピック有望選手を受賞。

1年生で高校3冠

 高校でも入学後すぐにレギュラー入りし、1年生でインターハイ、国体、春高の高校3冠を達成。2年生のインターハイも制して全国大会4連覇を達成したが、続く国体は決勝で大山加奈荒木絵里香擁する成徳学園に敗戦。春高決勝でも成徳学園と対戦し、歴史に残る激闘となったがセットカウント1対3で敗れた。

メグカナコンビで大ブレイク

 高校3年で全日本デビューし、8チームから誘われて03年にNECレッドロケッツに入団。同年のワールドカップで大山との「メグカナコンビ」で大ブレイクして一躍バレー界のアイドルとなる。翌年は2大会ぶりの五輪出場権獲得に貢献し、アテネ五輪に出場した。

移籍したパイオニアでVリーグMVP

 バレースタイルの違いから五輪後NECを退団。パイオニアレッドウィングスに移籍するも規定により04-05年のVリーグに出場できず、全日本からも外れる。公式戦復帰となった05年5月の黒鷲旗で優勝。05-06年の第12回Vリーグでも優勝に貢献してMVPを獲得した。

 06年に左足種子骨骨折で離脱。半年のリハビリを経て復帰し、07年8月のワールドグランプリで3年ぶりに全日本復帰。11月のワールドカップではアテネ五輪以来の「メグカナコンビ」復活となったが日本は7位だった。

火の鳥NIPPONの副キャプテン

 08年北京五輪は準々決勝敗退で2大会連続の5位。09年には眞鍋政義監督のもと、新生全日本『火の鳥NIPPON』の副キャプテンに就任するも、左ひざの故障でグラチャンを途中離脱。

ロシアリーグ移籍

 10年の世界選手権では銅メダルを獲得したが、11年2月に左ひざ軟骨損傷を手術し、治療専念のため6月にパイオニアを退団。9月にロシア・スーパーリーグの強豪ディナモ・カザンに入団したが、ワールドカップには出場せず。ロンドン五輪最終予選、本大会のメンバーからも外れた。

LDHに所属

 12年7月に岡山シーガルズに入団。14年9月に日立リヴァーレに移籍し、18年6月からJTマーヴェラスでプレー。芸能プロダクション「LDH JAPAN」にも所属している。

現役引退

 19年5月31日付でJTを退団。6月に現役引退を発表した。

関連人物

大山加奈 荒木絵里香

LAST UP 2019/06/04

大竹里歩(おおたけ りほ)

バレーボール選手:久光スプリングス所属。生年月日:1993年12月23日。神奈川県横浜市出身。下北沢成徳高校卒業。身長183cm。ポジション:ミドルブロッカー。ニックネーム:リホ。

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父は日本バレー歴代最長身

 父は日本バレー歴代最長身(208cm)の元全日本選手・大竹秀之。二人姉弟で2歳下の弟・壱青(いっせい)もパナソニックパンサーズ所属のVリーガー。デンソーでチームメイトだった鍋谷友理枝は父親同士が友人で幼なじみ。

淑徳SC中等部に進学

 幼い頃から試合観戦を通じて父に憧れ、小学5年で「横浜山下ジュニア」に入団してバレーを始める。「同じチームでやらせたい」と父親が話し合って鍋谷と一緒に淑徳SC中等部に進学し、3年生の時に全国中学校体育大会ベスト8。東京都代表として出場した全国都道府県対抗中学大会ではJVA・JOCカップとオリンピック有望選手を受賞した。

ライバル鍋谷と激闘

 高校は下北沢成徳に進学し、東九州龍谷に進学した鍋谷とはライバルになる。1年生からエースとして活躍し、3年連続インターハイ・春高に出場。3年生はキャプテンも務め、春高準決勝で東九州龍谷と対戦。歴史に残る激戦となり、最終セット10-5まで追い詰めたが逆転負けして悲願の全国優勝はならなかった。鍋谷は3年間で6度の全国優勝を達成している。

デンソー入団

 11年12月に鍋谷とともにデンソー入団が決定し、内定選手として12年3月にVリーグデビュー。4月には12年度の全日本メンバーに追加登録され、ロンドン五輪最終予選エントリーメンバーにも選ばれたが出場メンバーからは外れ、五輪出場もならず。

五輪出場ならず

 13年のグラチャンでは銅メダルを獲得。15年のワールドカップでは全試合スタメン出場を果たし、16年のリオ五輪世界最終予選の登録メンバーには選ばれていたが、出場メンバーからは外れ、五輪出場もならなかった。

大怪我から復帰

 17年5月、黒鷲旗決勝の試合中に左膝を負傷。手術、リハビリを経て、18年11月、18-19V.LEAGUE DIVISION 1開幕戦で1年4か月ぶりに公式戦復帰した。

久光スプリングス移籍

 21年5月、デンソー退団を発表。7月に久光スプリングスに入団した。

関連人物

石井優希 田代佳奈美 鍋谷友理枝

LAST UP 2021/10/12

永野健(ながの たけし)

バレーボール選手:パナソニックパンサーズ所属。生年月日:1985年7月11日。長崎県世保市出身。筑波大学卒業。ポジション:リベロ。身長176cm、体重69kg。血液型:A型。ニックネーム:ナガノ。

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小学2年でバレーを始める

 バレーボールが盛んな長崎県佐世保市に生まれ、二人の姉が通っていた「日宇JVC」に入部して小学2年でバレーを始める。

長崎選抜でセッターに

 地元の強豪・日宇中学に進学し、3年生の時に長崎選抜に選ばれ、全国都道府県対抗中学大会に出場。アタッカーだったが選抜候補の合宿中に怪我や辞退でセッターがいなくなったため自ら名乗りを上げ、約3ヶ月セッターの猛特訓を受けたことが、現在のプレーの土台になっていると言う。

インターハイ準優勝

 佐世保南高校進学後アタッカーに戻り、3年生の時に地元・長崎で開かれたインターハイに県第2代表として出場。決勝で菅直哉(元JT)擁する同じ長崎代表の大村工業に敗れ、準優勝だった。

大学でリベロに

 バレー選手としては低身長なため、高校限りで辞めるつもりだったが、大学バレーの強豪・筑波大学からリベロとして誘われて進学。チームメイトとなった菅とともに全日本インカレ優勝を達成し、在学中に内定選手として出場した07/08V・プレミアリーグでパナソニックの優勝に貢献してベストリベロ賞を受賞。08年の黒鷲旗でも優勝してベストリベロ賞を受賞した。

日本代表

 09年には日本代表デビューを果たし、10年のアジア大会では16年ぶりの金メダル獲得に貢献。11/12V・プレミアリーグでは2年ぶりの優勝に貢献してベストリベロ賞、サーブレシーブ賞を受賞した。

シーズン三冠に貢献

 世界最終予選で敗れ、ロンドン五輪出場はならなかったが、パナソニック、日本代表の守護神として活躍を続け、17/18V・プレミアリーグでは4季ぶりの優勝に貢献してレシーブ賞を受賞。同シーズンは天皇杯、黒鷲旗も制して6年ぶり3度目のシーズン三冠を達成した。3度の三冠は史上初。

新生V.LEAGUE初代王者に

 18-19シーズンは新生V.LEAGUE初代王者に輝くとともにリーグ連覇を達成し、2年連続4回目のレシーブ賞を受賞。黒鷲旗は準優勝に終わったが、2年連続6回目のベストリベロ賞を受賞した。

関連人物

大塚達宣 甲斐優斗 清水邦広 深津英臣 山内晶大

LAST UP 2019/05/07

中垣内祐一(なかがいち ゆういち)

前バレーボール男子日本代表監督。生年月日:1967年11月2日。福井県出身。筑波大学卒業。身長194cm。ポジション:オポジット。ニックネーム:ガイチ。

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アニメ宮浦健人物語

高校までは無名

 子供の頃は野球少年だったが、中学校の顧問に誘われバレー部に入部。しかし強豪ではなく、県下の進学校・福井県立藤島高校入学後もさほど熱心ではなかったが、3年生の時に北信越大会ベスト8に進出したのをきっかけにバレーに目覚め、名門・筑波大学に一般入試で進学。

大学で開花し鮮烈な全日本デビュー

 本格的にバレーに取り組み始めるも初めは練習についていけなかったが、関東大学リーグでもまれるうちに才能が開花。4年生で全日本に初選出されると、デビュー戦のNHK杯対カナダではスパイク決定率70%という鮮烈な全日本デビューを飾った。

ファンレター1日1000通超え

 90年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部。1年目から大活躍してリーグ優勝に貢献し、MVP、猛打賞、ベスト6、新人賞を受賞。その後も日本リーグ・VリーグでMVPと敢闘賞を3度、ベスト6を9度受賞するなど90年代を代表するスーパーエースとして活躍し、92年バルセロナ五輪では6位入賞。絶大な人気を獲得し、ファンレターが1日1000通を超えることもあったという。

Vリーグで優勝監督賞

 04年に現役を引退し、堺ブレイザーズ監督に就任。05-06年の第12回Vリーグでは優勝に導き、優勝監督賞に輝いた。

全日本男子監督就任

 09年に退任。全日本男子コーチをなど務めた後バレーを離れ、堺の経営母体・新日鉄住金で3年間営業を担当していたが、16年4月に堺ブレイザーズGMとして現場復帰。同年10月に全日本男子監督に内定した。

 同年11月に交通事故を起こし、日本バレーボール協会からけん責処分を受け、公的活動を自粛。17年5月に大阪簡易裁判所から罰金70万円の略式命令を受けて納付。6月に活動を再開した。

 2大会ぶりの出場となった18年の世界選手権は2勝3敗で1次リーグ敗退。98年の15位を下回る過去最低の成績に終わった。

ワールドカップで躍進

 19年のワールドカップでは新星・西田有志などの活躍で、8勝3敗で28年ぶりの4位と躍進。

東京オリンピック

 21年の東京オリンピックでは初戦でベネズエラにストレートで快勝し、選手として出場したバルセロナ五輪以来29年ぶりの五輪勝利を飾る。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならず、7位だった。

退任

 五輪後のアジア選手権は準優勝。21年9月末で日本代表監督を退任した。後任はフィリップ・ブラン。10月1日付で堺ブレイザーズ部長に就任した。

関連人物

津曲勝利
21年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2021/10/18