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高橋慶帆(たかはし けいはん)

バレーボール選手:ジェイテクトSTINGS所属。法政大学在学。生年月日:2003年10月13日。千葉県旭市出身。習志野高校卒業。ポジション:オポジット。身長:194㎝。最高到達点:357cm。

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アニメ高橋慶帆物語

ペルシャ語で世界

 イラン人の父と日本人の母の間に生まれる。ペルシャ語で「世界」を意味する『ケイハン』と名づけられた。4歳上の兄と二人きょうだい。

サッカーを断念

 小学2年でサッカーを始める。中学進学後も続けてクラブチームに所属し、自宅から1時間かけて練習に通っていたが、中学校入学時162㎝だった身長が卒業時に186㎝になるほど成長した影響で、中学1年から成長痛に悩まされ、膝の痛みで走るのが辛くなる。

 中学1年の春休みに虫垂炎の手術を受けると1か月間運動を禁止され、成長痛が改善したものの、サッカーをやめることを決断した。

中学2年でバレーを始める

 陸上部かバレー部かで迷った末、朝練がないバレー部に入部し、中学2年の5月からバレーボールを始める。やや遅めのスタートだったが、同級生女子の「今からはじめてもレギュラー取れないんじゃない?」に発奮したという。

名門・習志野高校に進学

 始めて半年で地区の選抜に選ばれる。1度だけ出場した県大会は1回戦敗退だったが、長身や将来性を見込まれ、中学3年の夏に千葉の名門・習志野高校から声がかかる。断ることも考えたが、春高バレー千葉県代表決定戦で観た習志野高校のバレーに魅了され、同校進学を決断した。

1年生から春高出場

 1年生から春高に出場(1回戦敗退)。1年生の時は「U18日本代表選考合宿」に参加し、西山大翔や牧大晃ら同世代の選手と技術を磨き、大きな刺激を受けたという。

 2年生だった2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会が軒並み中止となり、唯一開催された全国大会・春高バレーでは2回戦で優勝した東福岡高校に敗れるも、大会MVPに輝いた相手エース・柳北悠李に何度もブロックを決めるなど、『世代を代表するミドルブロッカー』と評された。

アウトサイドヒッター転向

 高校3年でアウトサイドヒッターに転向。3年生では副キャプテンを務め、インターハイベスト8、最後の春高は3回戦敗退だった。

法政大学進学

 2022年に法政大学に進学。法政大学は関東大学バレー2部リーグで、1部リーグの大学からの誘いもあったが、SSI(スポーツ・サイエンス・インスティテュート)制度があることやアウトサイドヒッター転向を快く受け入れてくれたことが同大進学の決め手になったという。

 同年8月には西山大翔、牧大晃、甲斐優斗らとアジアU20選手権に出場し、初めてとなるオポジットでプレーした(日本は13位)。23年2月には若手有望選手フランス遠征に参加。

日本代表初選出

 大学2年になった2023年に日本代表登録メンバーに初選出される。日本代表Bチームとして出場した9月のアジア大会では大会を通じてチーム最多となる113得点をマークし、銅メダル獲得に貢献した。

1部リーグ昇格

 法政大学は23年秋季リーグで全勝優勝を飾ると駒澤大学との入れ替え戦にも勝利し、15年秋以来となる関東大学バレー1部昇格を果たした。

ジェイテクトSTINGS入部

 23年11月15日、Vリーグ・ジェイテクトSTINGS入部を発表。同年12月23日のVC長野トライデンツ戦で途中出場し、Vリーグデビューを果たした。23-24Vリーグ終了までプレーする。

関連人物

石川祐希 甲斐優斗 髙橋藍 西田有志

2023年度男子日本代表 

参考文献

【 VOLLEYBALL HEROES 2023 】

【 月刊バレーボール2021年4月号 】

LAST UP 2024/01/04

甲斐優斗(かい まさと)

バレーボール選手:専修大学在学。生年月日:2003年9月25日。宮崎県延岡市出身。日南振徳高校卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長:200㎝。最高到達点:352cm。

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アニメ甲斐優斗物語

父は元実業団バレー選手

 父親が元9人制実業団バレー選手という家に生まれる。兄・妹との3人きょうだいの次男。2歳上の兄・孝太郎も専修大学でキャプテンを務めるバレー選手で、Vリーグ・サントリーサンバーズ入団が内定している。

生まれた時から大きく

 出生時の体重が3978グラムで、子供の頃から背が高く、食べ物の好き嫌いもなく食欲旺盛で、寝ることが好きで、すくすく成長する。

小学2年でバレーを始める

 小学2年で、父親が監督をしていた『延岡南バレーボールクラブ』に入部してバレーを始める。先に兄が入部していたものの厳し練習が嫌で渋っていたが、バレーボールを買ってもらったことで入部を決めたという。

中学時代は無名

 延岡市立南中学校進学後もバレーを続けるも、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)などのメンバーに選ばれることもなく、無名のまま過ごした。

 中学卒業後、兄のいる宮崎県立日南振徳高校に進学。小・中・高・大学とずっと兄・孝太郎と同じチームでプレーしている。

コロナ自粛期間に成長

 高校進学後それまでのアウトサイドヒッターからミドルブロッカーに転向。高校2年の2020年、新型コロナウイルス感染拡大によって大会が軒並み中止となり、部活動も自粛を余儀なくされる。
 寮から実家に戻り、スマホをいじるか寝るかという生活を送ると、ぐんぐん身長が伸びて高校3年で2メートルに到達。その反動で成長痛に悩まされ、2年生の11月から半年ほど満足な練習ができない日々が続いた。
 高校2年の時に父ががんにより死去している。

春高ベスト4

 状態が改善し、本格的なトレーニングを再開すると、高校3年で同校バレー部初のインターハイ出場を果たし、『大会唯一の2mプレーヤー』として注目を集め、準々決勝で優勝した鎮西高校に敗れるもベスト8に進出し、優秀選手に選出。

 春高にも初出場を果たすとベスト4に進出し、優秀選手に選ばれた。

日本代表入り

 2022年に専修大学に進学すると、同年に日本代表登録メンバーに初選出される。大学進学後アウトサイドヒッターに転向。6月には日本代表Bチーム強化合宿に参加し、元日本代表リベロ・永野健からサーブレシーブを重点的に教わる。8月にはアジアU20選手権に出場した。

パリ五輪出場権獲得

 2023年5月に中国との国際親善試合でシニア代表デビュー。ネーションズリーグで日本代表公式戦デビューを果たし、主要国際大会では46年ぶりとなるメダルを獲得(銅)。アジア選手権では3大会ぶりの優勝に貢献。

 ワールドカップでは主にピンチサーバーとして起用され、2008年北京大会以来となる自力でのオリンピック出場権獲得は果たした。

期待の大型アウトサイドヒッター

 身長2メートルの大型アウトサイドヒッターとしてさらなる活躍をされている。

関連人物

石川祐希 髙橋藍 永野健 西田有志

2023年度男子日本代表 

参考文献

【 月刊バレーボール 2022年3月号 】

LAST UP 2023/10/23

髙橋藍(たかはし らん)

バレーボール選手。生年月日:2001年9月2日。京都府京都市出身。日本体育大学在学。ポジション:アウトサイドヒッター。身長188㎝。

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アニメ髙橋藍物語

クウォーター

 2学年上の兄、3歳下の妹と3人きょうだいの次男として生まれる。母親が日本とアメリカのハーフなので自身はクウォーター。兄の髙橋塁もVリーグ・サントリーサンバーズに所属するバレーボール選手。

ホームランにちなんで

 野球好きの父親によりホームランに因んで藍と名付けられる。「素直で明るい」の意味を持つ藍色も由来になっているという。父親は息子を野球選手にしたいと思っていたが強制されることはなく、バレーをすることも反対しなかったという。

小学2年でバレーを始める

 バレーをやっていた兄の練習試合についていった時、メンバーが足りなくなり、コーチに助っ人を頼まれたのがきっかけで小学2年でバレーを始める。

 塁は子供の頃から身体が大きかったものの藍は小さく、小学生時代はアタッカーの兄に決めてもらいたくてレシーブを拾い、高学年からアタッカーもやるようになった。

 子供の頃から兄弟仲が良く、小・中・高、同じ学校に進学し、同じチームでプレー。兄が小学校を卒業して一人チームに残った際は、バレーをやめたいと母親に泣いて頼んだという。

中学までは小柄

 中学校進学後も小柄で当初はリベロとしてプレーしたが、その後アタッカーに転向。3年間全国大会に出場。京都府選抜に選ばれ、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)にも出場している。中学3年の後半から急激に身長が伸び、高校進学後さらに伸びたという。

春高優勝

 兄と同じ東山高校に進学すると、3年生の時にエース、キャプテンとして自身初の春高出場。優勝候補の前評判通りの強さで同校初優勝を失セット0の完全優勝で飾り、MVPに選ばれた。

日体大に進学

 兄・塁は日本大学にしたが、一人になってバレーに取り組んでみたい、違うチームで戦ってみたい、などの想いから2000年に日体大に進学。同年度の日本代表登録メンバーに初選出される。

 同年の全日本インカレ準決勝で日大と対戦。初の兄弟対決を制し、インカレ準優勝。

東京オリンピック

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年の延期を経て開催された2021年の東京オリンピックでは、チーム最年少(19歳)ながら全試合にスタメン出場。攻守に渡って活躍し、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たし、日本は7位。イケメン選手としても注目を集めた。

 五輪後に行われたアジア選手権では準優勝に貢献。

イタリア挑戦

 日体大の9年ぶりの秋季リーグ優勝に貢献し、全日本インカレ終了後イタリアプロリーグ・セリエAのパドヴァに期限付きで入団し、シーズン終盤にはリベロとしてもプレー。

 22-23シーズンもパドヴァでプレーし、開幕から2試合連続を含む3度のMVPを獲得するなどシーズンを通して主力として活躍。チーム2位、リーグ13位タイの300得点をマーク。石川祐希(ミラノ)の255得点を上回った。

龍神NIPPONとして

 23年は、ネーションズリーグで主要国際大会では46年ぶりとなるメダル(銅)獲得に貢献。アジア大会では3大会ぶりの優勝を果たし、ベスト6に選出。

 ワールドカップでは、初戦のフィンランド戦で『後ろ向きアタック』のスーパープレーを決めるなど躍進の原動力となり、2008年北京五輪以来となる自力でのオリンピック出場権を獲得した。

モンツァ

 23年6月、イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァと契約したことを発表した。日体大に在学しながらイタリアでプレーを続ける。

インスタフォロワー200万人

 国内外で人気を集め、22年8月にファースト写真集【 RAN 二十歳の肖像 】を発売し、23年3月には初のフォトエッセイ【 髙橋藍 カラフルデイズ 】を発売。ワールドカップ終了後の23年10月11日にはインスタグラムのフォロワーが200万人を突破した。

関連人物

石川祐希 大塚達宣 髙橋塁 西田有志

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/10/12

石川祐希(いしかわ ゆうき)

プロバレーボール選手:パワーバレー・ミラノ所属。生年月日:1995年12月11日。愛知県岡崎市出身。中央大学法学部政治学科卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長192cm、体重84kg。血液型:AB。

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アニメ石川祐希物語

兄妹で日本代表

 元実業団陸上選手の父と、元実業団バスケットボール選手の母の間に生まれる。姉と妹の3人きょうだい。妹の真佑(まゆ)もイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに所属するバレー選手。

バレーとの出合い

 姉の練習に付いて行った時に先生に誘われ、小学4年でバレーを始める。その先生は石川がスポーツが得意なのを知っていて声を掛け、すぐに素質を見抜き、始めて数か月後の全国大会でベンチ入りさせている。

 小学校卒業時の身長は160㎝ほどだったが、中学2年から急激に伸び、卒業時は180㎝を突破した。卒業式では一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を作ったと言う。

史上初2年連続三冠

 星城高校時代はエース、キャプテンとして史上初の2年連続の三冠を達成(インターハイ、国体、春高)。中央大学に進学した14年に日本代表に初選出。同年の全日本インカレでは1年生ながら18年ぶりの優勝に貢献し、MVPを受賞した。

NEXT4とイタリア移籍

 14年12月から15年3月までイタリアプロリーグ、セリエAのモデナに短期移籍。15年4月には石川、柳田将洋、髙橋健太郎、山内晶大の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成され、同年のワールドカップで大ブレイク、一躍スター選手となった。

 16年の世界最終予選で敗退し、リオ五輪出場はならず。全日本インカレ3連覇を達成した後イタリアに渡り、セリエA・ラティーナにレンタル移籍。シーズン途中での加入で、怪我やリベロでの出場などもあったが、当初の契約を延長してシーズン終了までプレーした。

 17-18シーズンもラティーナでプレー。リーグ途中で一時帰国し、4連覇に挑んだ大学最後のインカレは準決勝で筑波大学に敗れて3位だった。

プロ転向

 18年3月の大学卒業と同時にプロに転向。18-19シーズンはセリエAのエマ・ビラス・シエナでプレーし、チームで唯一全26試合にスタメン出場。

 19年6月、イタリア・セリエAのパドバに移籍することを発表。セリエA14チーム中、3分の2ほどからオファーがあり、出場機会を最優先に選んだという。

19年ワールドカップ

 19年のワールドカップでは日本代表を過去最多の8勝、28年ぶりの4位に導き、セカンドベストアウトサイドスパイカーに選ばれた。

19-20シーズン

 19-20シーズンはパドバで全19試合、71セットに出場し、242得点を記録。ポイントゲッターとして活躍していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、リーグが打ち切りとなった。チームは8勝11敗の7位。

ミラノ移籍

 20-21シーズンはセリエAのパワーバレー・ミラノでプレー。20年12月に新型コロナウイルス感染を発表したが、1月に公式戦に復帰した。

 22-23シーズンもミラノでプレーし、23年1月には日本選手初となるイタリア通算2000得点を達成。22/23シーズンはチーム初のベスト4進出を果たした。

東京オリンピック

 21年4月、日本代表の主将に就任。自身初の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

龍神NIPPONのエースとして

 23年はネーションズリーグで主要国際大会では46年ぶりとなるメダル(銅メダル)を獲得。得点王・ベストアタッカーの個人2冠に輝き、ベストシックス(ベストアウトサイドヒッター)にも選ばれた。

 アジア選手権では3大会ぶりの優勝を果たしMVPを獲得。ワールドカップでは2008年北京五輪以来となる自力での日本男子五輪出場権獲得に貢献した。

史上最高の逸材

 『日本史上最高の逸材』と言われ、高校の先輩でもある日本代表のセッター・深津英臣は「今後石川のような選手は出てこない。『昔はもっとすごい選手がいた』と言われることもあるが、彼に勝る選手は絶対にいない」と最大級の賛辞を送っている。

関連人物

小野寺太志 関田誠大 髙橋健太郎 深津英臣 西田有志 山内晶大

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/10/11

大塚達宣(おおつか たつのり)

バレーボール選手:パナソニックパンサーズ所属。生年月日:2000年11月5日。大阪府枚方市出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長194㎝。

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アニメ大塚達宣物語

バレー一家

 両親ともにバレー経験者で、指導経験を持つ教員という家庭に生まれる(母親は結婚により退職)。2歳下の妹と二人兄妹。

 両親は子どもをバレー選手にしたいと思っていたわけではなく、特別な指導はしなかったというが、家にはバレーボールがあり、中継があればテレビをつけるなど幼い頃からバレーに親しんだ。

小学3年でバレーを始める

 小学3年の時、地元の広報誌「広報ひらかた」に掲載されていたVリーグ・パナソニックパンサーズのジュニアチーム、パンサーズジュニアの部員募集を見て興味を持ち、自身の希望で入団。

 小学4年で全国大会に出場し、5年生でエースになる。6年生の時には日本バレーボール協会(JVA)が主催する「JVAエリートアカデミー合宿」に参加。この合宿をきっかけに「将来日本代表になる」が目標になった。

全国優勝

 中学進学後もパンサーズジュニアでプレーし、中学1年で注目を集める存在になる。中学3年8月のVリーグジュニア選手権で優勝し、優秀選手に選出。9月の全国ヤングクラブ優勝大会でも優勝し、最優秀選手に輝いた。

 大阪北選抜として出場した12月のJOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)は決勝トーナメント1回戦で敗れるも、JOC・JVAカップ(MVP)を受賞。大阪府知事賞も受賞し、オリンピック有望選手にも選ばれた。なお女子のJOC・JVA杯、府知事賞、有望選手は石川真佑(長野選抜・現東レ)。

春高優勝

 バレーの名門で全国屈指の進学校でもある京都の洛南高校に進学し、1年生から春高に出場(ベスト8)。『洛南カルテット』と呼ばれた同学年の山本龍、中島明良、垂水優芽とともに活躍して2年生の時に春高準優勝。翌年は失セット0の完全優勝で春高を制し、MVPに選ばれた。

 一方でU19日本代表に選ばれ、2017年のアジアユース選手権で日本の初優勝に貢献。世界ユース選手権では銅メダルを獲得している。

早大進学

 Vリーグチームからの誘いもあったが早稲田大学に進学。入学直後からレギュラーとなり、5月の黒鷲旗全日本選抜大会では堺ブレイザーズ、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)などVチームを撃破してベスト8に進出し、若鷲賞(最優秀新人賞)を受賞。

 関東大学リーグでは春季リーグ全勝優勝に貢献して新人賞と会長特別賞を受賞し、秋季リーグも全勝優勝。全日本インカレも制した(早大としては3連覇)。

 日本代表に選ばれた2019年のアジアU23選手権で銅メダルを獲得している。

東京オリンピック

 2020年度の日本代表登録メンバーに初選出されるも、新型コロナウイルス感染拡大の影響で同年の国際大会は軒並み中止となる。

 1年の延期を経て開催された2021年の東京オリンピックは、試合出場は途中出場の1試合にとどまったが(日本は7位)、五輪後に行われたアジア選手権で準優勝。

大学3年でVリーガーに

 早大の全日本インカレ5連覇達成後、パナソニックパンサーズに入団。同じくパンサーズに加入したエバデダン ラリー(当時筑波大3年)とともに、V1男子初の現役大学生Vリーガーとなる。

 22年1月8日のFC東京戦でVリーグデビューを果たすと、レギュラーラウンド22試合に出場。チームの主力としてファイナル3進出に大きく貢献し、最優秀新人賞を受賞した。

 21-22シーズン終了後パンサーズを退団し、大学での活動に復帰。

ネーションズリーグ

 2022年度も日本代表に選ばれ、ネーションズリーグでは日本男子過去最高の5位に貢献し、世界選手権にも出場(日本は12位)。

インカレ6連覇ならず

 22年の全日本インカレでは準決勝で筑波大に敗れ、早大6連覇はならなかった。

パナソニック入団内定

 22年10月、パナソニックパンサーズへの入団内定が発表される(エバデダン・ラリー、垂水優芽(筑波大)も同チーム入団が内定)。12月にチームに合流し、1月から試合出場。2022-23 V.LEAGUE DIVISION1でベスト6を初受賞した。

関連人物

清水邦広 髙橋藍 永野健 深津英臣 福澤達哉 山内晶大
2022年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2023/09/30

富松崇彰(とみまつ たかあき)

元バレーボール選手。生年月日:1984年7月20日。宮城県出身。東海大学卒業。身長191cm、体重85kg。ポジション:ミドルブロッカー。ニックネーム:トミー。

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アニメ髙橋健太郎物語

小学3年でバレーを始める

 3人兄姉の末っ子として生まれ、兄の影響で小学3年でバレーボールを始める。宮城選抜として出場した中学3年のアクエリアス杯(全国都道府県対抗中学大会)で優勝し、JVA・JOCカップとオリンピック有望選手を受賞。

清水邦広加入でセンター転向

 東北高校時代は、3年間とは思えないほど長く感じたという毎日の過酷な練習に耐え、2年の春高、3年のインターハイと2度全国優勝。清水邦広の加入をきっかけに、大学3年でサイドアタッカーからミドルブロッカーに転向。4年生の黒鷲旗で大学勢としては18年ぶりに決勝進出(準優勝)、同年の全日本インカレでは優勝を飾った。

東レに入団し新人王に

 東レ入団が決定し、大学在学中に内定選手として06/07V・プレミアリーグに出場。身長191cmとセンターとしては小柄だが長い腕と高いブロック技術を武器に全試合に出場し、準優勝に貢献して最優秀新人賞、ブロック賞、ベスト6賞を受賞した。

全日本でも活躍し

 07年には全日本に初選出されワールドカップに出場。翌年の北京五輪最終予選のメンバーからは外れ、オリンピック出場もならなかったが、09年のグラチャンはレギュラーとして全日本男子32年ぶりとなる4大大会での銅メダルを獲得した。

 08/09V・プレミアリーグで4年ぶりの優勝に貢献してベスト6賞を受賞。11年の黒鷲旗は5年ぶりの優勝で、ベスト6を受賞(2年連続2回目)。

日本記録

 18-19レギュラーラウンドでV.LEAGUE通算ブロック決定本数が881となり、日本記録を更新した。従来の記録は北川祐介(松下電器/豊田合成)の845。

現役引退

 Vリーグ総ブロック決定本数1087本の日本記録を残し、22年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退。22-23V.LEAGUE DIVISION1で功労者表彰を受けた。

 引退後は22-23シーズンの東レアローズ男子バレーボール部サポートスタッフに就任。22年のアジアU20選手権では男子日本代表のコーチを務めた。

 23-24シーズンは東レアローズ男子バレーボール部マネージャーを務める。

関連人物

篠田歩 清水邦広 髙橋健太郎 藤井直伸 米山裕太

LAST UP 2023/09/24

宮浦健人(みやうら けんと)

バレーボール選手:パリバレー所属。生年月日:1999年2月22日。熊本県荒尾市出身。早稲田大学卒業。ポジション:オポジット。身長190㎝。血液型:A型。

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アニメ宮浦健人物語

バレー一家に生まれ

 両親とも実業団バレー選手の家に生まれ、小学2年の時、兄が所属していたバレーチームに入団してバレーを始める。そのチームには一つ上に西田寛基(現サントリー)、一つ下に鍬田憲伸(現サントリー)がおり、全国大会に出場する強豪チームだったという。

鎮西中学に進学

 地元の中学校にバレー部がなく、鎮西高校OBの父親が同校バレー部の畑野久雄監督に「鎮西中学が新設されバレー部を創部するから来ないか」と誘われ同校に進学。

 毎日片道1時間半かけて通学するも当初は部員が二人しかおらず、試合にも他校との合同チームでの出場だったが、1年生から全国屈指の強豪・鎮西高校の練習に参加して実力を磨き、3年生になると鎮西中学単独チームで大会出場できるようになった。中学時代の最高成績は県大会ベスト4。

春高準優勝

 鎮西高校に進学すると1年生から春高に出場(1回戦敗退)。2年生の春高では準優勝し、3年生になるとキャプテンに就任。春高優勝を目指すも、2016年4月に熊本地震が発生。鎮西高校の体育館は半壊し、他県の体育館をバスで回り、限りある時間で練習に打ち込む。

 3年生の春高では大会ポスターに選ばれ、前年準V校として優勝候補に挙げられるも、初戦(2回戦)敗退に終わった。

世界ユース銅メダル

 早稲田大学に進学すると、1年生からレギュラー入りして関東大学バレー秋季リーグ戦で4年ぶりのリーグ優勝を早大史上初の全勝で飾り、全日本インカレ(全日本大学選手権)でも4年ぶりの優勝。大学1年の時にはキャプテンを務めた世界ユース選手権で銅メダルを獲得している。

Vチームを撃破

 2年生の時には春季リーグ、東日本インカレ、秋季リーグ、全日本インカレの四冠制覇に貢献。3年生5月の黒鷲旗全日本選抜大会では1年生ルーキー・大塚達宣の活躍もあり、堺ブレイザーズ、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)などVチームを撃破して大学勢では9年ぶりにベスト8に進出した。

全日本インカレ4連覇

 大学4年でキャプテンに就任するも、2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会が軒並み中止になる。感染対策を徹底して開催された全日本インカレでは4連覇を達成。MVPを獲得した。

ジェイテクト入団

 大学4年でVリーグ、ジェイテクトSTINGS入団が内定し、21年2月にVリーグデビュー。2021年にジェイテクトに入団。同年度の日本代表登録メンバーに初選出される。

 東京オリンピック出場はならなかったが、五輪後に行われたアジア選手権で銀メダル獲得に貢献。ベストオポジット賞を受賞した。

ポーランド移籍

 21-22V.LEAGUE DIVISION1では日本選手最多の651得点をマーク。フェアプレー賞も受賞。

 22年8月、ポーランド1部リーグ、スタル・ニサ移籍を発表。22-23シーズンはポーランドリーグでプレーした。

ネーションズリーグ銅メダル

 2023年のネーションズリーグでは、圧巻のパフォーマンスで龍神NIPPONの躍進の立役者の一人として大活躍。国際大会では30年ぶりにブラジルに勝利するなど開幕10連勝を飾り、準決勝で優勝したポーランドに敗れるも3位決定戦でイタリアを撃破。主要国際大会では46年ぶりとなる銅メダルを獲得した。

フランス移籍

 2023年6月、フランスリーグ1部、パリバレー入団を発表している。

関連人物

大塚達宣 西田有志

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/09/23

竹下佳江(たけした よしえ)

バレーボール女子日本代表監督付戦略アドバイザー。ヴィクトリーナ姫路エグゼクティブアドバイザー。生年月日:1978年3月18日。福岡県北九州市出身。不知火女子高校(現・誠修高校)卒業。身長159cm。血液型:A型。ニックネーム:テン。

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アニメ関田誠大物語

5年生でセッターに

 北九州市に二人姉妹の次女として生まれる。姉の影響で小学2年でバレーを始めると抜群の運動神経でみるみる上達し、5年生でセッターになる。小学生の頃は牛乳をたくさん飲み、器具を購入するなど様々な伸長法を試したという。

名門・不知火女子高校に進学

 中学時代は県大会で優勝し、福岡選抜にも選ばれ、名門・不知火女子高校(現・誠修高校)に進学。寮に入ってテレビも全く見ないバレー漬けの生活を送り、3年生の時に世界ユース選手権で優勝。

低身長で実業団を諦めかけたが

 しかし低身長ゆえ声がかからず、実業団入りを諦めかけたが葛和伸元監督(当時)に誘われ、96年にNECレッドロケッツに入団。正セッターとなった99-00年の第6回Vリーグで21戦全勝の完全優勝に貢献し、ベスト6に選ばれた。

史上初めて五輪出場を逃し

 97年に全日本に初選出されたが、2000年のシドニー五輪最終予選で敗退。日本女子バレー史上初めて五輪出場を逃すと、竹下の低身長が一因として批判にさらされたことなどで情熱を失い、02年4月に現役を引退。その後はハローワークに通い福祉関係への就職を目指したが、当時V1リーグに降格していたJTマーヴェラスから、Vリーグ復帰の切り札として熱心な誘いを受け、02年8月に現役復帰。期待通りの活躍でVリーグ昇格を果たした。

2大会ぶりの五輪出場

 03年に柳本晶一監督の下で全日本に復帰し、ワールドカップで最優秀敢闘賞を受賞。04年は2大会ぶりの五輪出場権獲得に貢献し、アテネ五輪にも出場。同年にJTとプロ契約を結び、05年には吉原知子の後を継いで全日本の主将に就任。06年世界選手権は日本は6位だったが、MVPを受賞した。

世界選手権銅メダル

 08年北京五輪は準々決勝敗退で2大会連続の5位。09年には全日本主将を荒木絵里香に譲ってコーチ兼任となり、10年の世界選手権で銅メダル獲得。10/11V・プレミアリーグでは創部以来初優勝を果たし、2年連続5回目のベスト6賞を受賞。11年の黒鷲旗でも初優勝を飾ってベスト6に選ばれた。

ロンドン五輪銅メダル

 11年ワールドカップは4位に終わったが、ベストセッター賞を受賞。12年ロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルを獲得。五輪後JTを退部して長期休養に入る。13年6月に日本バレーボール協会理事に就任。同年7月、現役引退を表明した。

ヴィクトリーナ姫路監督就任

 16年6月、新設の女子バレーボールチーム・ヴィクトリーナ姫路の監督に就任。17年6月には芸能プロダクション・アミューズとマネージメント契約を結んだ。

 ヴィクトリーナ姫路を率いて18-19シーズンからV.LEAGUE  DIVISION2に参戦すると1年目で優勝に導き、DIVISION1に昇格。19-20シーズンはリーグ最下位に終わるもチャレンジマッチで勝利し、DIVISION1残留を果たした。

 19-20シーズン限りで監督を退任し、球団副社長に就任。現在はエグゼクティブアドバイザーを務めている。

広島カープ・江草仁貴と結婚

  12年3月にプロ野球・広島カープの江草仁貴投手(現・阪神タイガース二軍投手コーチ)と結婚し、15年5月に第一子の男児を出産、18年2月に次男を出産した。

監督付戦略アドバイザー

 22年3月、女子日本代表監督付戦略アドバイザー就任が発表された。

関連人物

荒木絵里香 柳本晶一 吉原知子

LAST UP 2023/09/16

関田誠大(せきた まさひろ)

バレーボール選手:ジェイテクトSTINGS所属。生年月日:1993年11月20日。東京都江東区出身。中央大学卒業。ポジション:セッター。身長175㎝、体重71㎏。血液型:B型。

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アニメ関田誠大物語

小学1年で東金町ビーバーズ入団

 小学1年の時、姉が所属していた小学生バレーの強豪『東金町ビーバーズ』に入団してバレーボールを始める。小学4年でAチーム入りし、5年生でレシーバーからセッターに、6年生でスパイカーになると、エース、キャプテンとして東京都小学生選手権で優勝。

中学3年でセッターに

 中学バレーの強豪・駿台学園中学に進学。リベロも経験し、3年生から本格的にセッターを始めるとすぐに才能を発揮。キャプテンも務め、全日本中学校選手権で同校初優勝を果たして優秀選手に選ばれると、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)でも東京選抜のキャプテンを務めて優勝、ベストセッター賞を受賞した。

柳田将洋に誘われ東洋高校進学

 全日本中学生選抜でも正セッターを務めて多くの強豪から誘われ、東洋高校に進学。1歳上の先輩・柳田将洋(現・東京グレートベアーズ)とは小学生の頃からの知り合いで、柳田に誘われたことが同校進学の決め手になったという。

春高優勝

 1年生からレギュラー入りして、2年生エース・柳田将洋とともに東洋高校春高初優勝を飾り、インプレッシブプレーヤー賞とベストルーキー賞を受賞した。

 高校時代はユース日本代表に選ばれ、柳田とともにアジアユース選手権に出場している(日本は5位)。

中央大学進学

 中央大学に進学し、元日本代表選手・松永理生監督のもと1年生からレギュラー入り。1年生の時にはキャプテンを務めたアジアジュニア選手権で優勝し、MVPを受賞している。

石川祐希が入学

 大学3年の時、史上初の2年連続高校3冠を達成した星城高校のエース・石川祐希が中央大学に入学。同年の関東大学バレー春季リーグで11戦全勝、7年ぶりのリーグ制覇を達成すると、全日本インカレ(全日本大学選手権)では18年ぶりの優勝(MVPは石川祐希)。

Vリーグチームに勝利

 4年生でキャプテンに就任すると、全日本インカレ2連覇を達成し、MVPを受賞。天皇杯全日本選手権2回戦では柳田将洋擁するVリーグ、サントリーサンバーズと対戦。セットカウント3-1で勝利し、目標に掲げていた「企業チームからの勝利」を成し遂げた。

中高大すべてで日本一

 中学・高校・大学、すべてで日本一を経験し、ユース・ジュニア・ユニバーシアードと各世代で日本代表を経験している。

パナソニックパンサーズ入団

 大学4年の2015年12月、Vリーグ・パナソニックパンサーズ入団内定が発表され、16年1月にVリーグデビューした。パンサーズには当時の日本代表正セッター・深津英臣がいたが「日本代表の正セッターのもとでプレーしたい」「その人を抜かさないと日本代表には入れない」との思いでパンサーズを選んだという。

日本代表初選出

 2016年度の日本代表登録メンバーに初選出される。同年のリオデジャネイロオリンピック世界最終予選に出場するも出場権獲得はならず。

チームは三冠を達成するも

 17-18シーズンはパンサーズは天皇杯・Vプレミアリーグ・黒鷲旗の三冠を達成するも正セッターを務めたのは深津英臣

 18年9月にパナソニックパンサーズを退団し、10月に堺ブレイザーズに移籍した。

東京オリンピック

 自身初のオリンピックとなった21年の東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

ポーランドリーグでプレー

 東京オリンピック後堺ブレイザーズを退団し、21-21シーズンはポーランド1部リーグ、クプルム・ルビンでプレー。22年6月、Vリーグ・ジェイテクトSTINGS入団が発表された。

ネーションズリーグ

 23年のネーションズリーグでは開幕10連勝を飾るなど破竹の勢いで勝ち進み、準決勝で優勝したポーランドに敗れるも、3位決定戦でイタリアを破り、主要国際大会では46年ぶりとなる銅メダルを獲得した。

結婚

 2022年1月、自身のインスタグラムで前年に結婚したことを発表した。

関連人物

石川祐希 深津英臣

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/09/07

山内晶大(やまうち あきひろ)

バレーボール選手:パナソニックパンサーズ所属。生年月日:1993年11月30日。愛知県名古屋市出身。愛知学院大学卒業。ポジション:ミドルブロッカー。身長204㎝、体重85㎏。血液型:A型。

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アニメ山内晶大物語

小・中学校はバスケ

 7歳下の弟と二人兄弟の長男として生まれる。4326グラムの大きな赤ちゃんで、「大」という字をつけたくて「晶大」になったという。

 子供の頃から同級生より頭一つ大きく、小・中学時代はバスケットボールに打ち込んだ。

高校でバレーを始める

 高校でもバスケを続けるつもりだったものの細身ゆえ、高校生になると周りと体格差が出てコンタクトスポーツは厳しいと考え、バスケを断念。ハンドボール部に入ったものの1日でやめ、バレー部に入部した。

 しかし強豪ではなく、部員も少なく、練習も週に5日程度で、注目される選手でもなかったが、入学当時182センチほどだった身長がバレーを始めるとぐんぐん伸びて高校3年の春には198センチに到達。長身を買われて愛知選抜に選ばれ、国体に出場した。

シンデレラボーイ

 地元愛知の大学バレーの強豪・愛知学院大学に進学するも全く無名の選手だったが、2014年、大学3年の時に日本代表に初選出され、『シンデレラボーイ』と一躍注目を集めた。

NEXT4

 15年4月に山内、石川祐希、柳田将洋、髙橋健太郎の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成されると、同年のワールドカップでブレイク。初日はガラガラだったスタンドが最終日には国立代々木競技場第一体育館が満員になる人気となった。

パナソニックパンサーズ入団

 15年12月にVリーグ・パナソニックパンサーズに入団内定が発表され、その後はパンサーズ、日本代表で活躍。

 20-21V.LEAGUE DIVISION1ではチームの準優勝に貢献し、ベスト6を初受賞。21年6月にキャプテンに就任した。キャプテンを務めるのは人生初だという。

東京オリンピック

 自身初のオリンピックとなった21年の東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

ベスト6

 21-22V.LEAGUE DIVISION1はチームは3位だったが、2年連続2度目のベスト6を受賞。22-23シーズンでも3年連続3度目のベスト6を受賞した。

ネーションズリーグ

 23年のネーションズリーグでは開幕10連勝を飾るなど破竹の勢いで勝ち進み、準決勝で優勝したポーランドに敗れるも、3位決定戦でイタリアを破り、主要国際大会では46年ぶりとなる銅メダルを獲得した。

結婚

 18-19V.LEAGUE DIVISION1優勝記者会見で結婚したことが発表された。18年12月に一般女性と結婚している。

関連人物

石川祐希 大塚達宣 清水邦広 髙橋健太郎 永野健 深津英臣

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/08/16