松本慶彦(まつもと よしひこ)

バレーボール選手:堺ブレイザーズ所属。1981年1月7日生、長野県出身。中央大学卒業。身長193cm、体重77kg。ポジション:ミドルブロッカー。

父は戸隠松本製麺社長

 長野県長野市に3人姉弟の長男として生まれる。父親は信州そばを製造する「戸隠松本製麺」の社長。

名門岡谷工業初の春高優勝

 中学進学後バレーボールを始めるも、並行して取り組んだスキーに力を入れていたが、長身を買われて長野選抜に選ばれたのをきっかけに、名門・岡谷工業高校に進学。本格的にバレーに打ち込むと1年生でレギュラー入りし、抜群のジャンプ力でエースアタッカーとして活躍。98年に同校初の春高優勝を果たす。

大学3年でセンター転向

 しかし大学バレーに進むとアタッカーとしての限界を感じ、一時は辞めることも考えたが、3年生の時に監督の勧めでセンターに転向。再びバレーに打ち込み、03年にNEC入社。

北京五輪出場

 最高到達点358cmの日本屈指のジャンプ力を生かしてNECブルーロケッツで活躍し、05-06年の第12回Vリーグではベスト6賞、スパイク賞を受賞。全日本では07年のワールドカップでレギュラーを獲得し、翌年は16年ぶりの五輪出場権獲得に貢献、08年北京五輪にも出場した(5戦全敗の1次リーグ敗退)。

堺移籍も同意書が得られず

 五輪後の10月、バレースタイルの違いからNECを退社。堺に移籍するも移籍同意書が得られず、規定により08/09V・プレミアリーグには出場できなかったが、09年のグラチャンでは全日本男子32年ぶりとなる4大大会でのメダル(銅)を獲得した。

 10/11V・プレミアリーグでは5年ぶりの優勝に貢献、11年の黒鷲旗では準優勝してベスト6を受賞。13/14に通算230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞した。

日本記録更新

 18-19V.LEAGUEレギュラーラウンドで通算出場セットが1189となり、通算出場セット数日本記録を更新。従来の記録は酒井大祐(JT/サントリー)の1183。

 19年11月のウルフドッグス名古屋戦で通算出場試合数が353となり、通算出場試合数日本記録を更新した。従来の記録は山村宏太の352。

夫人も元バレー選手

 なお夫人の小由樹さん(旧姓:安武)もかつて日立で活躍した元バレー選手で、男児をもうけている。

LAST UP 2019/11/11

石川祐希(いしかわ ゆうき)

プロバレーボール選手:パドバ所属。1995年12月11日生、愛知県出身。中央大学法学部政治学科卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長191cm、体重84kg。血液型:AB。

兄妹で日本代表

 元実業団陸上選手の父と、元実業団バスケ選手の母の間に生まれる。姉と妹の3人きょうだい。妹の真佑(まゆ)も東レアローズに所属するバレー選手で、19年度の日本代表に選ばれている。

バレーとの出合い

 姉の練習に付いて行った時に先生に誘われ、小学4年でバレーを始める。その先生は石川がスポーツが得意なのを知っていて声を掛け、すぐに素質を見抜き、始めて数か月後の全国大会でベンチ入りさせている。

 小学校卒業時の身長は160㎝ほどだったが、中学2年から急激に伸び、卒業時は180㎝を突破した。卒業式では一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を作ったと言う。

史上初2年連続三冠

 星城高校時代はエース、キャプテンとして史上初の2年連続の三冠を達成(インターハイ、国体、春高)。中央大学に進学した14年に日本代表に初選出。同年の全日本インカレでは1年生ながら18年ぶりの優勝に貢献し、MVPを受賞した。

NEXT4とイタリア移籍

 14年12月から15年3月までイタリアプロリーグ、セリエAのモデナに短期移籍。15年4月には石川、柳田将洋、高橋健太郎、山内晶大の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成され、同年のワールドカップで大ブレイク、一躍スター選手となった。

 16年の世界最終予選で敗退し、リオ五輪出場はならず。全日本インカレ3連覇を達成した後イタリアに渡り、セリエA・ラティーナにレンタル移籍。シーズン途中での加入で、怪我やリベロでの出場などもあったが、当初の契約を延長してシーズン終了までプレーした。

 17-18シーズンもラティーナでプレー。リーグ途中で一時帰国し、4連覇に挑んだ大学最後のインカレは準決勝で筑波大学に敗れて3位だった。

プロ転向

 18年3月の大学卒業と同時にプロに転向。18-19シーズンはセリエAのエマ・ビラス・シエナでプレーし、チームで唯一全26試合にスタメン出場。

 19年6月、イタリア・セリエAのパドバに移籍することを発表した。セリエA14チーム中、3分の2ほどからオファーがあり、出場機会を最優先に選んだという

19年ワールドカップ

 19年のワールドカップでは日本代表を過去最多の8勝、28年ぶりの4位に導き、セカンドベストアウトサイドスパイカーに選ばれた。

史上最高の逸材

 『日本史上最高の逸材』と言われ、高校の先輩でもある日本代表のセッター・深津英臣は「今後石川のような選手は出てこない。『昔はもっとすごい選手がいた』と言われることもあるが、彼に勝る選手は絶対にいない」と最大級の賛辞を送っている。

LAST UP 2019/10/16

古賀太一郎(こが たいちろう)

プロバレーボール選手:ウルフドッグス名古屋所属。1989年10月4日生、長崎県出身。国際武道大学卒業。ポジション:リベロ。身長170cm、体重70kg。

兄もVリーガー

  4人きょうだいの末っ子として生まれる。5歳上の兄・幸一郎も同じウルフドッグスでキャプテンを務めるバレー選手で、ポジションも同じリベロ。

部員が二人のバレー部

 幸一郎の影響で小学生でバレーを始める。中学校でもバレー部に入部したが部員が二人しかおらず、試合の時は人数合わせで他の部に応援を頼み、吹奏楽部に出場してもらうこともあったほどで目立った成績は残せず。

兄のおかげで強豪に

 県内の強豪・佐世保南高校に進学。中学時代は無名ながら強豪に入れたのは「古賀幸一郎の弟」という兄の名前のおかげだという(幸一郎は佐世保北高校出身)。高校ではスパイクにトスにレシーブにマルチプレーヤーとして活躍し、兄と同じ国際武道大学に進学。

出場機会を求めて海外移籍

 大学でリベロとなり、12年にVリーグ・豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。13年にユニバーシアード代表に選ばれ銅メダルを獲得するも、豊田合成は兄が不動のレギュラーだったため出場機会を得られず、15年にフィンランドリーグのコッコラ・ティーケリに移籍。

最高峰ポーランドリーグ移籍

 MVPを獲得した活躍を認められ、翌年フランス1部リーグ、パリ・バレーに移籍。17年には世界のトップリーグの1つであるポーランドリーグ1部のザヴィエルチェに移籍した。日本選手が同リーグでプレーするのは初めて。

5年連続海外でプレー

 現在はプロ選手として所属するウルフドッグスのサポートを受けてプレー。ザヴィエルチェでは1年目にオールスター出場、海外5シーズン目となる19/20も同チームでプレーする。19年度の日本代表メンバーにも選ばれている。

LAST UP 2019/10/02

藤井直伸(ふじい なおのぶ)

バレーボール選手:東レアローズ所属。1992年1月5日生、宮城県出身。順天堂大学卒業。ポジション:セッター。身長183cm、体重80kg。

中学校に野球部がなく

 宮城県石巻市に生まれる。子供の頃は自宅の側にある海が遊び場だったという。

 小学生時代は野球に打ち込んだが、中学校に野球部がなく、バレー部に入部。セッターになると、3年生の時に宮城県選抜に選ばれ、JOC杯(全国都道府県対抗中学大会)に出場。

バレーは高校で辞めるつもりが

 東北高校の誘いもあったが、バレーは高校限りにするつもりだったため就職率の高い古川工業高校に進学。春高出場はないが、国体の宮城県代表に選出。全国レベルでのプレーに手応えを感じ、大学バレーの名門・順天堂大学に進学した。

東日本大震災で実家が被災

 大学1年の時に東日本大震災で実家が被災。水産関係の仕事をしていた父が職を失い、大学を辞める決意をしたが、大学の理事長の知人の厚意で学費が免除となり、バレーを続けることができたという。

東レ入部

 レギュラー入りしたのが4年生と遅かったものの、東レから声がかかって入部。1年目の14/15シーズンから出場機会に恵まれ、持ち味であるミドルブロッカーを積極的に使うトスワークを武器に活躍し、15年5月の黒鷲旗で準優勝。16/17シーズンは天皇杯とV・プレミアリーグの二冠に貢献し、自身初のプレミアリーグ、ベスト6を受賞した。

日本代表として

 17年に日本代表に初選出。同年のアジア選手権で優勝に貢献し、ベストセッター賞を受賞。

 19年2月、試合中に左手を骨折、全治3か月も現在は復帰し、ワールドカップのメンバーに選ばれている。

LAST UP 2019/09/30

鍋谷友理枝(なべや ゆりえ)

バレーボール選手:デンソーエアリービーズ所属。1993年12月15日生、神奈川県出身。東九州龍谷高校卒業。身長177cm。ポジション:アウトサイドヒッター。ニックネーム:レイ。

生まれ

 ともに春高出場経験を持つ両親のもと、小学3年でバレーを始める。父親は元全日本選手・大竹秀之と法政二高の同級生で、その娘でデンソーのチームメイト・大竹里歩は幼なじみ。

中学時代

 両親の結婚が同じ年で誕生日もわずか8日違い、という縁もあって「同じチームでやらせたい」と父親が話し合い、大竹里歩と一緒に淑徳SC中等部に進学。3年生の時に全国中学校体育大会で8強入り。東京都代表として出場した全国都道府県対抗中学大会ではオリンピック有望選手を受賞した。

高校No.1プレイヤー

 「日本一になりたい」と親元を離れて大分県の東九州龍谷高校に進学。全国屈指の名門・東龍で1年生からレギュラー入りし、同年の全日本選手権ではV・プレミアリーグのNEC、パイオニアを破る偉業を成し遂げ4強入り。3年連続インターハイ・国体・春高に出場して全てでベスト4以上に進み、6度優勝。3年生の時は主将も務めて春高MVPを受賞するなど、高校バレー界を代表するエースアタッカーとして活躍した。

デンソー入団

 11年12月に大竹とともにV・プレミアリーグのデンソー入団が決定し、内定選手として12年3月にプレミアデビュー。13年には第1回世界U-23女子選手権で銅メダル獲得に貢献し、15年はワールドグランプリ、ワールドカップに出場。

リオ五輪出場

 16年はリオ五輪世界最終予選で出場権獲得に貢献し、リオオリンピックにも出場(準々決勝敗退)。
 17年の黒鷲旗ではデンソーの優勝に貢献し、ベスト6を初受賞。18-19シーズンはデンソーのゲームキャプテンを務め、19-20シーズンからキャプテンに就任した。

ゴーグル

 19年9月のワールドカップではゴーグルを着用してプレーする姿が話題になった。4月の合宿中に右目にボールが直撃、網膜振盪症で全治1か月の診断を受けたことによる保護のため。

LAST UP 2019/09/30

小幡真子(こばた まこ)

バレーボール選手:JTマーヴェラス所属。1992年8月15日生、熊本県出身。日本体育大学卒業。身長164㎝。ポジション:リベロ。

小学4年でバレーを始める

 山と海に囲まれた熊本県上天草市で生まれ育つ。かつて久光製薬のバレー部に所属した母親の影響で小学4年でバレーを始める。子供の頃から運動神経抜群で、陸上800mで熊本県3位になったこともあるという。

熊本県選抜から落選

 中学時代は3年間バレー漬けの生活を送る。ポジションはライトだったものの低身長ゆえレシーブを磨いて攻守に活躍し、九州大会に出場。しかしJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)の熊本県選抜から落選、この挫折が成長の糧になったという。

リベロ転向

 名門・九州文化学園高校に進学。入部当初はライトもレシーブ力を買われてリベロでの出場も多く、高校2年で本格的にリベロ転向。全国優勝はならなかったが、インターハイでは3年連続ベストリベロ賞を受賞した。

全日本インカレ優勝

 日体大では4年生の時にキャプテンとして21年ぶりの全日本インカレ優勝を達成し、MVPとベストリベロ賞を受賞。15年1月、当時チェレンジリーグに降格していたJTマーヴェラスの内定選手となる。

JTマーヴェラス入部

 15年5月に就任した吉原知子監督のもと、1年でV・プレミアリーグ昇格。16年の黒鷲旗では優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞した。18-19シーズンからはキャプテンを務めている。

日本代表

 中田久美新監督のもと17年に日本代表に初選出され、同年のアジア選手権で10年ぶりの優勝に貢献、ベストリベロ賞を受賞した。

LAST UP 2019/09/14

中道瞳(なかみち ひとみ)

元バレーボール選手。1985年9月18日生、京都府出身。京都橘高校卒業。身長159cm。ポジション:セッター。ニックネーム:ミチ。

セッターが楽しくて

 友達に誘われ小学2年で名門「城陽ジュニア」に入部。喘息持ちで病気がちな身体を鍛えるつもりも名門ゆえの厳しい練習が嫌で仕方なかったが、5年生で始めたセッターが楽しくなって練習に打ち込むようになり、6年生で全日本小学生大会3位。当時は背が高い方だったが中学以降ほとんど伸びていないという。

京都橘高校に憧れ中1で転校

 地元の中学校に進学したものの1年生ゆえ試合に出られず、このままでは憧れの京都橘高校進学が厳しくなると考え、1年生の途中で同級生と一緒に滋賀の甲良中学に転校。二人暮らしをして練習に励み、全国大会出場も果たして京都橘に進学した。

東レ入団

 京都橘高校では恩師・三輪欣之監督からセッターの技術を教え込まれて春高3位。3年生の国体では悲願の日本一を達成し、04年に東レ入団。3年目に正セッターとなり、07/08V・プレミアリーグで初優勝に貢献してベスト6賞を受賞。翌年Vリーグ女子初の2連覇、09/10は3連覇を達成し、09、10年には黒鷲旗も連覇。10/11V・プレミアリーグは東日本大震災の影響で打ち切りとなって4連覇はならず準優勝に終わったが、11/12は2年ぶりの優勝を飾り、3年ぶり3回目のベスト6賞を受賞した。

全日本

 全日本には10年に初選出され、同年の世界選手権で32年ぶりのメダル(銅)に貢献。11年のモントルーバレーマスターズでは日本の初優勝に貢献してMVPを受賞。12年ロンドン五輪では銅メダルを獲得した。

現役引退

 東レではキャプテンも務めたが、15年5月に現役引退を発表。東レのコーチに就任し、17年にはチーム事情により選手登録されたが、17年5月に東レアローズを退団。今後は社業に専念するという。

LAST UP 2019/09/13