与田剛(よだ つよし )
野球解説者。元中日ドラゴンズ投手。1965年、千葉県出身。亜細亜大学卒。 妻は元TBSアナウンサーでキャスターの木場弘子。 |
5歳の時に巨人ファンだった父親とキャッチボールを始め、10歳で小学校の野球部に入部し本格的に野球を始める。中学でも野球部に入部したがコントロールの悪さからエースにはなれず強肩の外野手兼控え投手として活躍した。一方で小学2年生の時から父親が病気で入院していたため中学時代は新聞配達をして家計を助けた。
中学卒業後、木更津中央高校(現・木更津総合高校)に進学。 2年生でエースとなり持ち前の速球はプロのスカウトからも注目されたが制球の悪さから目立った活躍はできず甲子園出場もならなかった。 卒業後、亜細亜大学に進学。大学1年の時に父が死去した。大学時代は怪我に苦しみ3年生の時には手術も受けたため、大学4年間の公式戦で1勝しか挙げられなかった。 卒業後は社会人野球の名門・NTT東京に入社。
2年目からエースとなり活躍。全日本にも選ばれインターコンチネンタルカップやアジア選手権に出場した。
89年のドラフト会議では他球団が野茂英雄を指名する中、星野仙一監督(現・阪神タイガース・シニアディレクター)が与田獲得を熱望し中日ドラゴンズが1位指名。在京球団を希望していたが星野監督の熱意に応え入団した。 90年のシーズンではルーキーながら開幕戦から抑え投手として大活躍。8月には当時の日本最速記録となる157キロをマークした。同年のオールスターではファン投票1位で選出され第3戦に先発登板。清原和博(当時西武。現オリックス)に直球勝負を挑み場外ホームランを打たれた。同年は31セーブを挙げ最優秀救援投手賞、新人王を受賞した。 翌年は「2年のジンクス」に苦しみ0勝2セーブ。3年目こそ23セーブを挙げたが以降は怪我や不調に苦しみ千葉ロッテ、日本ハム、阪神と渡り歩き2000年のシーズンを最後に現役を引退した。
現在解説者としてNHKのメジャーリーグ中継などの解説を務めている。 関連項目:北京オリンピック特集>北京五輪関連項目(解説者など)
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