話題の人物豆知識/ワダマメドットコム

山田久志(やまだ ひさし)


WBC日本代表投手コーチ。1948年7月29日生、秋田県出身。能代高校卒業。

 3歳上の兄の指導で野球を始め、中学時代は遊撃手として活躍。名門校からの誘いもあったが、能代高校で甲子園に出場した兄の後を追って同校に進学し、2年生で三塁手のレギュラーを獲得。しかし同年夏の甲子園県予選で自らのエラーでサヨナラ負けを喫し、ショックのあまり野球をやめようと思っていると、野球部監督から「ピッチャーになって悔しさを晴らせ」と言われ、投手に転向した。
 それまで投手経験はなかったが、転向1ヶ月後にアンダースローを始めると翌年はエースとして活躍。甲子園出場はならなかったが実力を高く評価され、67年に社会人野球の名門・富士鉄釜石(現・新日鉄釜石)に入社した。
 富士鉄では1年目から都市対抗などで活躍し、同年のドラフトで西鉄ライオンズから11位で指名される。この時は経験不足などで入団を見送ったが、翌68年11月のドラフトでは星野仙一田淵幸一山本浩二、東尾修ら目玉選手が揃う中、阪急ブレーブスから1位指名されプロ入りを決意。しかし直後に腰を負傷し、脊椎分離症と診断されて契約を延期。安静を余儀なくされ、一時は入団断念も考えたが、その後順調に回復して翌69年8月に晴れて阪急に入団。同月にはプロ初登板も果たした。
 翌70年は開幕6連敗を喫したが5月に初勝利を飾り、二桁勝利も達成(10勝17敗)。71年には22勝(6敗)を挙げて最優秀防御率、最高勝率に輝くと、その後は88年に引退するまで阪急一筋でエースとして活躍。「サブマリン投法」で最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率を4回獲得して歴代7位の284勝を挙げたほか、プロ野球記録の12年連続開幕投手、史上初の3年連続MVP、17年連続二桁勝利など数々の金字塔を打ちたてた(06年に野球殿堂入り)。
 現役引退後は解説者を務める一方、指導者としても活躍し、オリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズで投手コーチを担当。中日では監督も経験するなど指導者としての手腕を買われ、08年11月に原辰徳監督の下WBC日本代表投手コーチに就任。09年の第2回WBCでは世界屈指の投手陣を率いて大会2連覇に貢献した。
 プロ通算成績:654試合284勝166敗43セーブ 防御率3.18 奪三振2058。

LAST UP 2009/03/24
 
作品
関連人物
イチロー 江川卓 原辰徳 山本昌 与田剛
関連項目
2009ワールド・ベースボール・クラシック日本代表一覧

トップページへ戻る

Copyright(c)2009 ワダマメドットコム All Rights Reserved.

ブログパーツ