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内海桂子(うつみ けいこ)


漫才師。1922年9月12日生、千葉県出身。第二瑞光小学校4年修了。
本名:安藤良子(あんどう よしこ)。

 22年(大正11年)9月12日に生まれたが、当時父が博打に溺れて行方が知れず、21歳(数え年)の母が一人で出産したため出生届けが遅れ、戸籍上は23年1月12日生まれ。
 出生後父が戻り、関東大震災も乗り越え弟も誕生したが、父が再び博打にのめり込んで暴力も振るうようになったため25年に離婚。以降父・弟とは一度も会っていないという。
 その後母は再婚したが離婚。離婚後別の男性の子供を身ごもり、物入りとなったため小学校を3年で中退して千代田区神田の老舗蕎麦屋『更科』に子守奉公に出る。なお母はその男性とも所帯を持ったが、一人っ子だったため当時の法律により籍が入れられず3度とも正式な結婚ではないという。
 1年半住み込みで働いた後親元に戻り、昼間働きながら夜学の小学校に通う一方、母の勧めで三味線を始める。その後得意の三味線を生かしてチンドン屋や旅一座の地方巡業に加わるようになり、38年に漫才を開始。41年には相方の子供を出産したが妻子がいたためコンビを解消して別れ、戦時中は別の相方と外地慰問などを行った。46年には当時の相方と結婚して長女を出産したが数年で離婚している。
 戦争で寄席が壊滅状態だったため終戦後は団子売りや女給をして暮し、49年に漫才を再開すると50年に14歳年下で当時14歳の内海好江と漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。歯切れのいい三味線漫才で人気を博し、58年にNHK新人漫才コンクールで優勝。61年には芸術祭奨励賞受賞するなど女流漫才の第一人者として活躍し、89年に紫綬褒章、95年に勲四等宝冠賞を受賞している。
 97年に内海好江が死去。以後は一人で活動し、98年には「漫才協団」の第5代会長に就任(05年に「漫才協会」に改称)。07年に会長を辞任し、名誉会長となった(後任は青空球児)。
 現在はテレビや寄席で活躍、風刺の利いた都々逸も披露している。99年には24歳年下のマネージャーと結婚して話題になった。

LAST UP 2010/08/05
 
作品
関連人物
今村昌平  

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