上原浩治(うえはら こうじ)
プロ野球選手:テキサス・レンジャーズ投手。1975年4月3日生、大阪府出身。
大阪体育大学出身。身長186cm、体重85kg。右投右打。背番号19。
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小学校入学後父親がコーチをしていた「寝屋川アスナローズ」に入団して本格的に野球を始める。コントロールが良く、ピッチャーを任されたが、進学した中学校には野球部がなかったため陸上部に入部。三段跳びや幅跳びに取り組みながらも日曜日になるとアスナローズで野球に打ち込んだ。
卒業後東海大学付属仰星高校に進学し野球部に入部したものの上下関係になじめず、練習に熱が入らなくて野球をやめることも考えたが、3年生になって上級生がいなくなると又楽しくなって、それまでの外野手からピッチャーに転向。しかしエースの建山義紀(現レンジャーズ)がいたため目立った活躍はできず、高校時代は全く無名のまま終わった。なお元ラグビー日本代表の大畑大介も同校の同級生。
大阪体育大学を受験したが失敗、浪人生となって予備校通いの日々を送る。その間は週に一度の草野球程度しかできなかったため、スポーツジムに通ってウェイトトレーニングに励み、冬場には工事現場で警備員のアルバイトも行った。なお先行きが見えず、悩み続けた19歳当時の辛い記憶を忘れないため、プロ入り時に背番号を19にしたと言う。
翌95年に晴れて大体大に進学すると、入学直後の6月の大学選手権でドラフト候補の東北福祉大・門倉健(元巨人)と投げ合っていきなりプロのスカウトから注目され、以降エースとして阪神大学リーグで活躍。1試合21奪三振、通算36勝などのリーグ新記録を樹立し、ノーヒットノーランも達成。日本代表にも選ばれ、97年のインターコンチネンタルカップでは当時151連勝中のキューバ相手に勝ち星を挙げて連勝をストップさせた。大学時代には中学・高校の体育教員免許も取得している。
98年のドラフト会議で巨人を逆指名してドラフト1位で入団。1年目の99年は15連勝を含む20勝(4敗)を挙げて最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、新人王などタイトルを総なめにし、『雑草魂』で流行語大賞も受賞。以降巨人はもちろん日本代表でも活躍し、04年アテネ五輪銅メダルや06年第1回WBC優勝に貢献。04年には元モデルの美穂夫人と結婚した。
07年は抑え投手を務め、球団新記録となる32セーブをマーク。08年は先発に復帰するも調子が上がらずリリーフに回ったが、国際大会無敗の勝負強さなどを買われて北京五輪代表に選出。北京五輪では2試合に登板していずれも無失点に抑え、国際大会の無敗記録を25試合に伸ばしたが、チームは3位決定戦で敗れてメダル獲得ならず。同大会を最後に日本代表から引退することを表明した。
08年は6勝5敗1セーブの成績を残し、日本シリーズ終了後FAでメジャーリーグ、ボルチモア・オリオールズに2年契約で移籍。09年は先発として開幕2連勝を飾ったがその後は故障に苦しみ、メジャー1年目は2勝4敗に終わる。10年も序盤は故障に苦しんだがシーズン後半からクローザーに抜擢、8月にメジャー初セーブを挙げるとその後も活躍を続けて13セーブを記録した。
11年7月に交換トレードでテキサス・レンジャーズに移籍。建山とチームメイトになり、セットアッパーとしてポストシーズン出場に貢献したが、救援投手史上初のポストシーズン3試合連続被本塁打を喫し、ワールドシリーズのメンバーからは外れた。
2011年成績:65試合2勝3敗0セーブ 防御率2.35 奪三振85。
※通算成績(11年終了時)
日本プロ野球:276試合112勝62敗33セーブ 防御率3.01 奪三振1376。
メジャーリーグ:120試合5勝9敗13セーブ 防御率3.13 奪三振188。
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