塚原光男(つかはら みつお)
| 朝日生命体操クラブ総監督。1947年、東京都出身。日本体育大学卒。 |
妻は元五輪女子体操日本代表で朝日生命体操クラブ女子監督の塚原千恵子、息子はアテネ五輪体操男子団体金メダリストの塚原直也。 中学入学後に体操を始める。中学時代から数々の大会で優勝し国学院高校時代は2年、3年とインターハイ個人総合で2連覇。卒業後、体操の名門・日本体育大学に進学した。 大学入学後すぐにレギュラー入りしたものの、当時ブームだったエレキギターに夢中になりバンド活動にのめり込んだため成績が伸び悩んでいたが、
68年に入ると同年のメキシコ五輪に向け猛練習に励み、オリンピック最終予選で5位に入賞し代表入り。メキシコ五輪では団体総合で金メダルを獲得した。個人総合18位。 大学卒業後の70年に実業団の強豪・河合楽器に入社。入社1ヶ月で体操部が休部となったがその後も河合楽器に残り練習を続けると翌年体操部が活動を再開した。 同年のリュブリャナ世界選手権では跳馬の新技「ツカハラ跳び」を成功させ団体総合と跳馬で金メダルを獲得。
72年のミュンヘン五輪では鉄棒の新技「月面宙返り(ムーンサルト)」を成功させ団体総合と鉄棒で金、つり輪で銅メダルを獲得した。五輪後の72年10月に小田千恵子と結婚。
76年のモントリオール五輪では団体総合と鉄棒で金、跳馬で銀、個人総合と平行棒で銅メダルを獲得した。 79年、河合楽器を退社し妻・千恵子がコーチを務めていた朝日生命体操クラブの監督に就任。現役も続けたが81年の全日本選手権が最後の試合となり82年4月に正式に現役を引退、引退後は指導者として妻・千恵子とともに数多くのオリンピック代表選手を育てた。
現在、日本体操協会副会長、朝日生命体操教室校長なども務めている。
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