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田中将大(たなか まさひろ)


プロ野球選手:ニューヨーク・ヤンキース投手。背番号19。右投右打。
1988年11月1日生、兵庫県出身。駒澤大学附属苫小牧高校卒業。188cm、93kg。

 父親がファンだったゴルファー・尾崎将司と、同じくかつて大ファンだった山口百恵の次男・三浦貴大(たかひろ)に因んで「将大」と名付けられる。
 巨人ファンでもあった父親の影響で、小学1年で「昆陽里(こやのさと)タイガース」に入団。強肩を買われて捕手に抜擢され、エースの坂本勇人(現巨人)とバッテリーを組み、4番打者としても活躍して6年生の時に県大会準優勝。
 坂本とは小・中学校の同級生だが小学校卒業後は別のチームに進み、田中はかつてオリックスで打撃投手を務め、『イチローの恋人』と呼ばれた奥村幸治が監督の「宝塚ボーイズ」に入団。奥村の勧めでピッチャーを始めると投打に渡って活躍、地元強豪校の誘いもあったが、奥村の勧めで北海道の駒大苫小牧高校に進学した。得意球のスライダーは奥村から教わったもの。
 北海道勢初優勝を遂げた1年夏の甲子園はベンチ入りできなかったが、翌年春に甲子園初登板(2回戦敗退)を果たすと、同年夏の大会では先発にリリーフに活躍して連覇に貢献、「北の怪物」として注目を集めるようになる。
 3連覇がかかった3年夏の甲子園は順当に勝ち上がるも、決勝は早稲田実業の斎藤佑樹と投げ合って延長15回引き分け。翌日の再試合で惜しくも敗れたが、決勝・再試合は高校野球史に残る名勝負として語り継がれている。
 同06年の高校生ドラフトでは1巡目指名で日本ハム、オリックス、横浜、楽天の4球団競合の末、楽天に入団。1年目の07年は3月に初登板、4月に初勝利を初完投で飾ってファン投票1位でオールスターにも出場し、球団初の二桁勝利(11勝7敗)を挙げて新人王を獲得。08年は9勝と僅かに二桁には届かなかったが初セーブを記録し、北京五輪にも出場した。
 09年は日本代表としてWBC連覇に貢献し、シーズンでも15勝(6敗)を挙げ、球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献。10年は怪我でプロ入り後最少の20試合登板にとどまったがチーム最多の11勝。
 11年は3度の月間MVP、1試合18奪三振(歴代2位)を記録し、斎藤佑樹とのプロ初対決も制してパ・リーグ歴代2位、セ・パ通じて歴代5位の防御率1.27を記録。最多勝(19勝)、最優秀防御率、最優秀投手(勝率7割9部2厘)の三冠を獲得し、嶋基宏と最優秀バッテリー賞も受賞。ベストナイン、ゴールデングラブ賞も獲得し、初の沢村賞に輝いた。
 12年3月にタレントの里田まいと結婚。初の開幕投手を務めた12年は4年連続二桁勝利をあげ、初の最多奪三振を獲得した。
 13年はWBCに出場。シーズンでは24勝0敗1セーブで、同一シーズン24連勝、前年を合わせて28連勝、ポストシーズンを含めて30連勝、と3つの記録がギネスに認定されるなど、様々なプロ野球記録を塗り替え、球団を初の日本一に導き、最多勝、最優秀防御率、勝率1位、沢村賞、ベストナイン、パ・リーグMVPなどタイトルを総なめにした。オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。
 14年はメジャー初登板の試合で勝利を挙げ、日米通算100勝を達成。7月に右肘靭帯の部分断裂の診断を受けるも保存療法を選択、9月に復帰し、1年目を13勝5敗で終える。日本人4人目の開幕投手を務めた15年は12勝7敗でオフに右肘の骨片除去手術を受けた。
 16年は2月に第一子の長男が誕生。2年連続の開幕投手を務め、渡米後初めて規定投球回数に到達し、チーム最多、自身メジャー最多の14勝を挙げた。
 16年成績:31試合14勝4敗0セーブ 防御率3.07 奪三振165。
 現役通算成績(16年終了時)
 NPB:175試合99勝35敗3セーブ 防御率2.30 奪三振1238。
 MLB:75試合39勝16敗0セーブ 防御率3.12 奪三振445。

LAST UP 2017/07/04
 
作品
関連人物
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関連項目
2013WBC日本代表一覧 北京オリンピック特集>選手名鑑

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