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荻原次晴(おぎわら つぎはる)


元スキー選手(ノルディック複合)。1969年、群馬県出身。早稲田大学卒。
双子の兄は元スキー選手で現・参議院議員の荻原健司

建築材料販売業を営む家に兄・健司と一卵性双生児として生まれる。3人の姉がいるため5人姉弟。生まれ育った群馬・草津は雪が多く、スキーが盛んなため、遊びの一つとして3歳でスキーを始め、スキーシーズンになると、かつてアルペンスキーの国体選手だった父親とスキーに興じた。
小学校入学後、体操教室に入会し器械体操をはじめ、大会にも出場していたがスキーの方が面白くなり小学5年で退会。その後スキー少年団に入り、スキージャンプをはじめる。
ジャンプにのめり込んでいたが、ジャンプ競技ではジャンプの環境が整っている北海道勢に勝てないため、中学入学後、ノルディック複合(ジャンプとクロスカントリー)に転向した。
中学1年の時、全国中学生スキー大会に出場し3位に入賞。健司は県予選で敗退し同大会には出場できなかったが、この時の悔しさをバネに練習に励んだことがその後の活躍につながった。中学2年の時、全国ジュニアオリンピックで健司が1位、次晴が2位。3年生の全国中学生大会でもワンツーフィニッシュを決め、注目を集めるようになった。
二人揃って進学した長野原高校時代は1年生から全日本選手権に出場。全日本ジュニアにも選ばれ、世界ジュニア選手権に出場した。
高校卒業後、健司とともに推薦入試で早稲田大学に進学。大学時代、ひたすら練習に打ち込み海外の試合でも活躍するようになった健司と音楽などの趣味にも興じる次晴の間に差が開くようになった。
92年のアルベールビル五輪で健司が金メダルを獲得。出場していない次晴は存在を知られていなかったため、以後健司と間違われサインや握手を求められるようになった。
健司は4年で大学を卒業したが次晴は留年、5年で卒業し健司のいる北野建設に入社。94年のリレハンメル五輪で健司が再び金メダルを獲得。次晴は代表に選ばれなかった。
94-95シーズンのW杯で個人総合4位になったことで次晴の存在も知られるようになり、95年のW杯では健司1位、次晴2位のワンツーフィニッシュを決めた。
98年の長野五輪でオリンピック初出場を果たし個人6位、団体5位。
98年7月、健司より先に現役を引退(健司は02年に引退)。引退後はスポーツキャスターとしての活動のほか講演なども行っている。

LAST UP 2007/04/17
作品   
関連人物   
荻原健司

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