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小笠原道大(おがさわら みちひろ)


中日ドラゴンズ二軍監督。1973年10月25日生、千葉県出身。
暁星国際高校卒業。身長178cm、体重83kg。右投左打。背番号82。

 小学2年でリトルリーグに入団すると、右利きながら父親の指示で左打ちに転向。レフトやサードを守り、3番打者として全国大会3位。
 中学時代はシニアリーグに所属。卒業後野球部強化に力を入れ始めていた暁星国際高校に進学し、中学時代のショートからセカンドに転向。2年生からはキャッチャーも守り、夏の甲子園県予選準優勝。翌年は優勝候補に挙げられたが初戦(2回戦)で敗退し、同校初の甲子園出場はならなかった。高校時代は打率こそ高かったもののホームランは0に終わっている。
 92年NTT関東に入社。捕手のほかDH、内・外野も守って都市対抗などで活躍し、96年ドラフト会議の3位指名で日本ハムに入団。どこでも守れる「コンビニルーキー」として1軍定着し、2年目には指の骨折が完治しないままプロ初本塁打を放って『ガッツ』の愛称が定着。
 引退した落合博満に代わって2番ファーストのレギュラーを掴んだ3年目の99年は「史上最強の2番打者」として「ビックバン打線」の一角を担い、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。00年、01年と2年連続で最多安打に輝き、02年には初の首位打者。03年には4年連続となる3割30本を達成した。
 04年にはアテネ五輪に出場して銅メダルを獲得し、06年の第1回WBCでは優勝に貢献。06年はシーズンでも本塁打王、打点王を獲得して25年ぶりのリーグ制覇、44年ぶりの日本一を果たしてリーグMVPを受賞し、シーズン終了後巨人にFA移籍。
 07年は4番も務めて5年ぶりのリーグ制覇に貢献し、史上初の両リーグをまたいでの2年連続MVPを受賞。08年は前半戦調子が上がらず北京五輪代表に選出されなかったが、後半戦は復調し、9月にはサイクルヒットも記録してリーグ連覇を達成。
 09年WBCでは大会連覇に貢献し、同年はリーグ3連覇とともに日本シリーズも制覇。10年には史上18人目となる全球団からの本塁打を達成。11年は5月にプロ野球史上38人目、歴代4位の早さで2000本安打を達成したが、不振や死球による怪我で規定打席到達ならず。12年も自己最少の34試合出場、本塁打は0に終わる。
 13年シーズン終了後中日に移籍。代打の切り札として活躍し、15年限りで現役を引退。16年シーズンから中日二軍監督を務めている。
 通算成績:1992試合 2120安打 378本塁打 1169打点 打率.310 63盗塁。

LAST UP 2018/11/14
 
作品
関連人物
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関連項目
リオオリンピック特集>過去のメダリスト 2009WBC日本代表一覧
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