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野村忠宏(のむら ただひろ)


元柔道選手:60キロ級。1974年12月10日生、奈良県出身。
天理大学卒業。弘前大学大学院医学研究科修了。164cm、60kg。

 祖父は柔道場館長、父は名門・天理高校柔道部監督、叔父はミュンヘン五輪金メダリスト・野村豊和という柔道一家に生まれ、気が付くと当たり前のように柔道を始めていたという。
 しかし子供の頃は身体の小ささから弱く、天理中学時代は女子にも負け、父が監督だった天理高校に進学するも目立った活躍はできなかったが、中学・高校時代は身体の小ささを克服するためひたすら技を磨くことに努め、特に「背負い投げ」の練習には力を入れたという。
 高校の終わり頃になると筋肉がついて身体が大きくなり、体力で劣らなくなったことで実力を発揮し始め、高校3年で全日本ジュニア体重別選手権準優勝。93年に天理大学に進学すると、94年に全日本学生体重別選手権で優勝して注目されるようになり、翌年ドイツ国際優勝。96年に全日本選抜体重別選手権で優勝して五輪代表の座を獲得した。
 96年アトランタ五輪では田村亮子(現・谷亮子)らに隠れ、期待も注目もされていなかったが見事金メダルを獲得して一躍スター選手の仲間入りを果たすと、翌97年に世界選手権初優勝。99年にミキハウスに入社し、2000年のシドニー五輪では五輪2連覇を達成した。
 01年に結婚すると休養を兼ねて約1年間アメリカ・サンフランシスコに語学留学して柔道から離れる。引退もささやかれたが02年11月の講道館杯で復帰。シドニー五輪以来約2年ぶりとなった同大会では一本負けを喫するなどブランクを感じさせたがその後復調し、04年アテネ五輪では柔道史上初、アジア人初となる五輪3連覇を成し遂げた。
 北京五輪での4連覇を目指したが07年、練習中右ヒザ靭帯を断裂して世界選手権を欠場。復帰戦となった08年2月のドイツ国際では4試合連続一本勝ちで勝ち進んだが決勝では一本負けし、4月の北京五輪代表選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権では準決勝で敗退して五輪代表から落選した。
 その後右ヒザを手術し、ロンドン五輪を目指して現役続行を宣言したが、1年半ぶりの実戦となった09年10月のW杯バクー大会は初戦で一本負け。11年8月、全日本実業個人選手権の準々決勝で敗れて講道館杯の出場権を逃し、ロンドン五輪出場が消滅した。
 13年に右肩、14年に左膝を手術。15年4月には七段に昇段したが、8月に現役を引退した。なお13年に弘前大学大学院医学研究科を修了し、医学博士号を取得している。

LAST UP 2017/08/17
 
作品   
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関連人物   
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関連項目
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