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内藤やす子(ないとう やすこ)


歌手。1950年、神奈川県出身。本名:内藤泰子。

 元浪曲師で浪曲の興行師だった父と浪曲師の母の間に生まれる。赤ん坊の頃から両親の巡業について各地を転々とする生活をしていたが、泰子が4歳の時、娘の将来を考えた両親が浪曲を辞め、東京・板橋に定住した。子供の頃は身体が弱く、学校も休みがちだったが小学3年から柔道を習い始めると身体も丈夫になり、初段も取得した。
 両親の影響で子供の頃から浪曲や演歌に親しんでいたが、小学4年の時にアメリカ人の友達の家で聴いた【 ジミ・ヘンドリックス 】に衝撃を受け、ハードロックにのめり込んだ。
 成績は悪かったが家庭教師をつけて勉強に励み私立中学を受験、豊島岡女子学園中学に進学した。中学時代はバンドを結成し練習に励む一方、柔道で鍛えた腕力で男女を問わず喧嘩をし、地元では名の知れた存在になった。
 中学卒業後、父の知り合いだった歌手・二葉百合子の前座歌手を4年間務めた後バンド活動に戻り、ライブ出演などで人気を得ていたが、スカウトされ、75年に歌手・内藤やす子として【 弟よ 】でデビュー。ハードロックを望んでいた自身の思惑とは違い、歌謡曲でのデビューだったが【 弟よ 】は大ヒット、翌76年も【 想い出ぼろぼろ 】がヒットしピンクレディーらを抑え、日本レコード大賞・最優秀新人賞など同年の新人賞を総なめにした。
 人気歌手として活躍していた77年に大麻取締法違反で逮捕。起訴猶予となり謹慎を経て復帰した。84年に【 六本木ララバイ 】がヒット、89年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。
 40歳を迎えたのを機に念願だったハード・ロックに転向。44歳の時には21歳年下のオーストラリア人男性と結婚した。05年5月に脳内出血で倒れ緊急入院、同7月に退院した。

LAST UP 2007/01/26
 
作品
関連人物
エド山口 増田恵子

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