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□は行の人物
■芸能人2

萩本欽一
(はぎもと きんいち)

コメディアン。1941年5月7日生、東京都出身。駒込高校卒業。本名 萩本欣一(読み同じ)。

東京・台東区で六人兄弟の三男として生まれる。父親の会社が成功していたため幼い頃は裕福だったが、経営が悪化。一転して貧しい生活になって借金取りが押し寄せるようになったため金持ちに憧れるようになり、自分でもなれそうなコメディアンを目指すようになった。
高校進学を諦め、中学3年の時に浅草芸人に弟子入り志願したが「高校を卒業してから」といわれたため、仕方なく高校に進学。高校時代は新聞配達などのアルバイトで家計を支え、授業料は全て自分で払い、卒業後、浅草の東洋劇場に入って芸人修業を開始。池信一や東八郎らの下で修業した後、フランス座に移り、そこで坂上二郎と出会う。しかし友人になった訳ではなく、舞台でつぶしあいをするほどライバル心を燃やす仲だったという。
63年に自ら旗揚げした劇団「浅草新喜劇」がTBSディレクターの目に留まって同年にTV初出演を果たし、活躍の場をTVに移したが、生放送で19回NGを出してしまい、わずか3年で追われるように浅草に戻った。
その後熱海でホテルの専属コメディアンになったが、後に代表作となるコント『机』を思いついて浅草に戻ると偶然電話をかけてきた坂上と66年にコンビを結成。初めは全く受けなかったがボケとツッコミを交代し、コンビ名を王貞治の本塁打記録にあやかった『コント55号』としたのをきっかけに爆発的な人気を獲得。
その後は単独でも【 欽ちゃんのどこまでやるの! 】、【 欽ドン!良い子悪い子普通の子 】など数々の人気番組を送り出し、出演番組の合計視聴率から「100%男」と呼ばれた。
活躍はコントにとどまらず『スター誕生!』や『24時間テレビ』などの司会も担当。71年には放送作家集団「パジャマ党」も結成した。76年には東洋劇場時代に世話になった先輩の踊り子さんと結婚、三人の息子をもうけている。
85年3月にレギュラー番組を全て降板して半年間の充電生活に入ったのを機にTVの表舞台から遠ざかるようになったが、お笑い界に多大な功績を残した萩本は依然として高い人気を誇り、98年には長野五輪閉会式の総合司会を務め、05年にはクラブ野球チーム・茨城ゴールデンゴールズを結成。07年には初の本格的な自伝【 なんでそーなるの! 】を出版した。
07年8月には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンに挑戦し、70kmの完走に成功。08年には北京五輪の聖火ランナーを務めた
LAST UP 2008/04/27

【 主な出演作品 】
【 コント55号の出演作品 】

関連人物
小堺一機 間寛平
はしのえみ 細川たかし

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