美川憲一(みかわ けんいち)
| 歌手。1946年、長野県出身。東宝芸能学校卒。本名 百瀬由一(ももせ よしかず)。 |
母・以し子さんが交際相手との子供・由一(美川憲一)を出産したが相手に妻子がいることを知り別れ、一人で由一を育てていたが以し子さんが結核を患ったため、2歳から以し子さんの姉・米子さん夫婦に引き取られ東京で育てられた。なお美川が事実を知らされたのは中学生になってからで、実父とは1度テレビ番組で対面したがその後連絡は取らなかったという。以し子さんがその後別の男性との間に男の子をもうけたたため異父弟が一人いる。実父も別の女性との子供をもうけているため異母兄弟もいるが実父は死去している。 書道家の養父のもと子供の頃からバイオリンや絵、日舞などを習い、スポーツ嫌いながら高校時代は剣道部に所属。定評のある姿勢の良さは剣道で身に付けた。 養父母に子供がいなかったため実子のように可愛がられたが養父は5歳の時に死去した。 高校を1年で中退し東宝芸能学校に入学。レッスンに励み、64年に第17期「大映ニューフェイス」に合格した。
65年にクラウンレコードから【 だけどだけどだけど 】でデビュー。同年に2曲目のシングルを発売したものの全くの鳴かず飛ばずだったが66年、 3枚目のシングル【
柳ヶ瀬ブルース 】 が大ヒット。68年にはNHK紅白歌合戦に初出場しその後も 【
お金をちょうだい 】 【
さそり座の女 】
などがヒットしたが70年代後半から低迷。覚せい剤事件などもあり全く活躍できずにいたが80年代後半にタレントのコロッケが美川のモノマネを始めると同時に美川も「ご本人」として人気を博し、その後出演した「タンスにゴン」のCMも評判になり、返り咲きを果たした。現在は芸能界のご意見番としても活躍している。
96年に育ての親の米子さんが死去。06年7月に生みの親の以し子さんが死去した。
07年の第58回NHK紅白歌合戦の出場、24回目の出場となった。
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