栗原恵(くりはら めぐみ)
バレーボール選手:ディナモ・カザン所属。1984年7月31日生、広島県出身。
三田尻女子(現・誠英)高校卒業。身長187cm。ニックネーム:コウ。
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日新製鋼バレー部の選手だった父と、ママさんバレー選手の母の影響で幼い頃からバレーボールに親しみ、小学4年から本格的に始める。6年生の時は父が監督を務め、卒業後地元の中学に進学したが、2年生の時に兵庫県の強豪・大津中学校にバレー留学。その後は姫路で一人暮らしをしながら練習に打ち込み、アクエリアス杯(現JOC杯)ではオリンピック有望選手に選出された。
高校では入学直後からレギュラーとして活躍し、1年生でインターハイ、国体、春高の高校三冠を達成。2年生から主将を務めると、この頃から成徳学園の大山加奈との対決が注目されるようになり、02年3月には春高決勝で三田尻女子と成徳学園が対戦。歴史に残る激闘となったがセットカウント1対3で敗れた。
03年にNECレッドロケッツに入団すると、同年のワールドカップで大山加奈とともに「メグカナコンビ」として大ブレイク。低迷していた女子バレー界の救世主として活躍し、翌年のアテネ五輪にも出場(日本は5位)。
バレースタイルの違いから五輪後の04年10月にNECを退団し、パイオニアレッドウィングスに移籍したが、移籍規定により04-05年の第11回Vリーグには出場できず、全日本からも外れる。
公式戦復帰となった05年5月の黒鷲旗で優勝すると、05-06年の第12回Vリーグでも優勝に貢献してMVPを受賞。06年5月には左足を故障(左足有痛性分裂種子骨障害)したが半年のリハビリを経て復帰し、07年8月のワールドグランプリで3年ぶりに全日本復帰。11月のワールドカップではアテネ五輪以来の「メグカナコンビ」復活となったが日本は7位だった。
08年の北京五輪は準々決勝で敗退し、2大会連続の5位。08/09V・プレミアリーグではチームは6位だったが、2年ぶり3回目となるサーブ賞を受賞。09年5月には眞鍋政義監督のもと、新生全日本『火の鳥NIPPON』の副キャプテンに就任するも11月のグラチャンは左ひざの故障により、大会途中で全日本を離脱。
10年の世界選手権では銅メダルを獲得したが、11年2月に左ひざ軟骨損傷を手術し、治療に専念するため6月にパイオニアを退団。9月にロシア・スーパーリーグの強豪ディナモ・カザンに入団したが、左ひざの状態を考慮されワールドカップの出場メンバーから外れる。ロンドン五輪最終予選もエントリーメンバーに選ばれていたが、出場メンバーからは外れた。
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