工藤公康(くどう きみやす)
プロ野球選手:横浜ベイスターズ投手。1963年5月5日生、愛知県出身。
名古屋電気高校(現・愛知工業大学名電高校)卒業。身長176cm、体重80kg。
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父親が大の巨人ファンで負けると怒り出したため子供の頃は野球が嫌いだったが、草野球チームのキャッチャーでもあった父親に練習相手として幼い頃から強制的にピッチャーをやらされると、生来の負けず嫌いから練習に打ち込むようになり、投球技術の研究にも励んで実力を付け、名門・名古屋電気高校からスカウトされて進学した。
高校では3年夏に甲子園出場を果たし、初戦(2回戦)の長崎西高戦ではノーヒットノーランを達成してベスト4に進出。高い評価を受けるもプロ入りを拒否し、社会人の熊谷組入りを表明したが、ドラフト6位で強行指名した西武ライオンズの管理部長(当時)・根本陸夫に説得されて入団した。
しかし当初はプロ入りする気がなかったため甲子園終了後全く練習せず、体重が15キロ増えるほどの不摂生がたたって1年目は1勝のみに終わる。大いに悔いてその後は練習に打ち込み、4年目の85年には最優秀防御率を獲得。翌年は初の二桁勝利(11勝)を挙げて日本一に貢献し、日本シリーズMVPも受賞すると、87年は最優秀防御率、最高勝率の二冠と2年連続のシリーズMVPを獲得し正力松太郎賞も受賞。その後も91年に自己最多の16勝、93年にはパ・リーグMVPを獲得するなどエースとして西武黄金時代を支えた。
94年オフにFAで福岡ダイエーホークスに移籍すると在籍5年で3度の二桁勝利のほか最多奪三振、最優秀防御率も獲得して99年には日本一を達成、リーグMVPにも選ばれたが、同年オフに今度は巨人にFA移籍。以降7年間で3度二桁勝利を挙げ、日本一も2度達成して「優勝請負人」と呼ばれると、04年には史上23人目の通算200勝を達成した。
07年1月、巨人にFA移籍した門倉健の人的補償選手として横浜ベイスターズに移籍。『ハマのおじさん』として活躍し、07年は7勝(6敗)を挙げる。08年も現役を続けて実働27年となり、プロ野球史上最長記録を更新したが、左ひじの炎症で2軍調整が続き、1軍では3試合に登板するも84年以来24年ぶりの未勝利に終わった。09年も現役を続行する。
プロ通算成績(08年シーズン終了時点)579試合 222勝137敗3セーブ 防御率3.40。
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