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金哲彦(きん てつひこ)


プロ・ランニングコーチ。NPO法人ニッポンランナーズ理事長。
1964年2月1日生、福岡県出身。早稲田大学教育学部卒業。

 福岡県北九州市に三人兄弟の末っ子として生まれる。在日韓国人三世で、兄はフランス料理店「レストランキノシタ」のオーナーシェフ・木下和彦。叔父は作家の高史明。高の息子で12歳で自殺した詩集【 ぼくは12歳 】の著者・岡真史はいとこにあたる。
 子どもの頃から走ることが好きで小学生時代は校内マラソンで活躍し、中学校で本格的に陸上を始めると2年生で県大会優勝。駅伝強豪校から誘われたが、県内のライバル・只隈伸也(現大東文化大学准教授)と話し合い「自分たちの力で全国大会に行こう」と、二人であえて無名に近い八幡大学付属高校(現九州国際大学付属高校)に進学。
 1、2年は順調に記録を伸ばしてキャプテンに選ばれたが、3年生になると貧血に悩まされて低迷。回復後に出場した高校駅伝県予選では区間賞を獲得するも2位に終わり、全国大会出場はならなかった。
 部活引退後猛勉強して憧れの瀬古利彦を輩出した早稲田大学に合格。4年連続箱根駅伝に出場し、2年生の時に同大30年ぶりの総合優勝を飾って翌年も連覇。4回とも五区を走って区間賞2回、区間新も記録し、「山のぼりの木下」と呼ばれた。
 86年にリクルートに入社したのを機に日本名の木下哲彦から本名の金哲彦を名乗るようになる。自ら「リクルートランニングクラブ」を設立して87年別府マラソン、89年東京国際マラソンで3位に入り、オリンピックを目指して89年に国籍を朝鮮籍から韓国籍に変更。91年デュークシティマラソンで初優勝を飾り、92年の東亜マラソン(韓国)では自己記録(2時間11分48秒)を出したが6位に終わってバルセロナ五輪出場はならなかった。なお91年にリクルートの社員だった日本人女性と結婚し、一男をもうけている。
 次の五輪を目標に現役を続けるつもりだったが、当時のリクルート監督・小出義雄から有森裕子のコーチを頼まれバルセロナ五輪銀メダルに貢献したのがきっかけとなり、現役を引退してリクルートのコーチに就任。95年には監督に昇格し、96年アトランタ五輪には3人の代表を送り込んだ(有森が銅メダル獲得)。
 01年にリクルートランニングクラブが休部したため、翌年「ニッポンランナーズ」を設立し、現在はプロ・ランニングコーチとして活躍、エディオン女子陸上競技部GMなども務めている。なお06年に大腸ガンを手術したが翌年フルマラソンを完走、09年つくばマラソンではサブスリー(3時間切り)を達成した。

LAST UP 2012/04/19
 
作品
関連人物
有森裕子 小出義雄 瀬古利彦 高橋尚子 長谷川理恵 増田明美
関連項目
北京オリンピック特集>北京五輪関連項目(解説者など)

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