井上堯之(いのうえ たかゆき)
ギタリスト、作曲家。1941年、兵庫県出身。兵庫県立星陵高校卒業。
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父は市電の運転手をしていたが戦死、母は戦後再婚したが夫とうまくいかなかったため教科書も買えないほど貧しい生活となり、小学生の頃から新聞配達やゴルフ場のキャディーなどのアルバイトをして家計を助けた。
中学生の時に観た音楽ドキュメント映画【 真夏の夜のジャズ 】に影響を受けてギターに憧れ、高校時代は友達に貰ったギターで練習に励み、ギター教室にも通った。
高校卒業後は神戸のクラブやジャズ喫茶で演奏活動をしていたが20歳の時に上京、たまたま入ったジャズ喫茶で神戸時代の先輩に再会し、先輩が所属していたバンド「ザ・スパイダース」のリーダー・田辺昭知(現・田辺エージェンシー社長)に誘われ、62年にボーカリストとして「ザ・スパイダース」に加入した。その後ギタリスト(神戸の先輩)が脱退したためリードギターを担当するようになった。
64年に井上順が加入し、田辺昭知、井上堯之、堺正章、大野克夫、加藤充、かまやつひろし(現・ムッシュかまやつ)、井上順の7人が揃うとジャズ喫茶で絶大な人気を獲得し、65年に【 フリフリ 】でレコードデビュー。66年に【 夕陽が泣いている 】が大ヒットすると当時のGS(グループサウンズ)ブームに乗り、空前の人気を得た。
GSブームの終焉とともに「ザ・スパイダース」の人気も下降し70年12月に解散を宣言、71年1月に「ザ・スパイダース」の活動を終了した。
解散直後に沢田研二、萩原健一らと新バンド「PYG」を結成。大きな話題を呼んだがファンには受け入れられず目立った活躍ができなかったため、同71年に「井上堯之バンド」を結成。沢田研二のバックバンドを務めたほか、ドラマや映画、舞台などの音楽を担当。【 太陽にほえろ! 】、【 傷だらけの天使 】 、【 前略おふくろ様 】などの演奏を手掛けた。
80年の 「井上堯之バンド」解散後は映画音楽を中心に活躍し、87年には映画【 火宅の人 】で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した。
93年から98年まではロックバンド「宇崎竜童&RUコネクションwith井上堯之」でも活動する一方、94年に胃がんを発症し、胃の3分の2を切除している。99年には堺正章、かまやつひろしと結成したユニット「Sans Filtre」でNHK紅白歌合戦にも出場した。04年には映画【 カーテンコール 】に出演するなど俳優としても活躍している。
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