萩原智子(はぎわら ともこ)
| 元水泳選手。1980年、山梨県出身。身長 179cm。本名 佐藤智子。 |
子供の頃は活発で外で遊びまわるのが好きだったが、一方で幼い頃から飛びぬけて背が高く、小学校卒業時で170センチを超えた高身長にコンプレックスを抱いていたという。
海でおぼれたのをきっかけに小学2年でスイミングクラブに入会して水泳を始めると、すぐに才能を認められ、入会半年で選手コースに移って本格的な練習を開始。小学3年生で初めて出場した大会で6位に入賞し、4年生からはジュニアオリンピックに出場。6年生の時、バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した岩崎恭子を見てオリンピックに憧れるようになった。
中学2年からジュニアの日本代表に選ばれ海外遠征に参加。95年のカナダ選手権で200m背泳ぎ日本歴代2位の好記録を出したが、96年4月の日本選手権兼五輪代表選考会では背泳ぎ100mで8位、200mで3位に終わりアトランタオリンピックの代表入りはならなかった。なおニックネームの『ハギトモ』は中学3年の県強化合宿の時、同じ『智子』名の選手がいたので区別するために名付けられた。
山梨学院大学附属高校時代は200m背泳ぎでインターハイ3連覇。高校3年のアジア大会では背泳ぎ100m・200m、400mメドレーリレーの三冠を達成し注目を集めるようになった。
高校卒業後山梨学院大学に進んだが、当時大学にプールも水泳部もなかったため、新たに水泳部を創部。1年目は部員が自分一人だけで練習はスイミングクラブで行った。
2000年4月の日本選手権兼五輪代表選考会で200m背泳ぎ2位、200m個人メドレーで優勝し念願のオリンピック出場権を獲得。2000年のシドニーオリンピックでは200m背泳ぎで4位、200m個人メドレーは8位だった。
02年の日本選手権では自由形100m・200m、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで優勝し、史上初となる個人四冠を達成したが、一方で01年に椎間板ヘルニア、02年には過喚気症候群を発症し、03年は1年間休養生活を送った。
04年に日本選手権兼アテネオリンピック代表選考会の自由形に出場。100mで2位、50mでは優勝したが、いずれも標準記録に届かなかったため2度目の五輪出場はならず、現役引退を表明した。
05年に山梨学院大学大学院を修了し、同大学のカレッジスポーツセンターの研究員となった。現在は研究員のほか日本水泳連盟強化スタッフなども務め、水泳解説などキャスターとしても活躍している。06年には8歳年上のテレビ朝日ディレクター・佐藤一馬と結婚した。
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