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萩本欽一(はぎもと きんいち)


コメディアン。1941年5月7日生、東京都出身。駒沢大学仏教学部在学。

 東京・台東区で六人兄弟の三男として生まれる。父親のカメラ会社が成功していたため幼い頃は裕福で、戦時中は埼玉・浦和の当時は珍しい洋館風の家に疎開していたが経営が悪化。小学4年で東京に戻り、中学3年から借家に移ると借金取りが押し掛けるようになったため金持ちに憧れ、自分でもなれそうなコメディアンを目指すようになる。
 高校進学を諦め、中学3年で浅草芸人に弟子入り志願したが「高校を卒業してから」といわれたため、仕方なく進学。駒込高校時代は新聞配達などのアルバイトで家計を支え、授業料は全て自分で払った。
 卒業後浅草の「東洋劇場」に入って芸人修業を開始。池信一や東八郎らの下で約4年修業を積んだ後「フランス座」に移り、坂上二郎と出会う。しかし友人になった訳ではなく、舞台上で潰しあうほどライバル心を燃やす仲だったという。
 63年に自ら旗揚げした劇団「浅草新喜劇」がTBSディレクターの目に留まり、同年にテレビ初出演。活躍の場をテレビに移すも生放送で19回NGを出し、わずか3年で追われるように浅草に戻る。
 その後熱海でホテルの専属コメディアンになったが、後に代表作となるコント『机』を思いついて浅草に戻ると偶然電話をかけてきた坂上二郎と66年にコンビを結成。初めは全く受けなかったがボケとツッコミを交代し、コンビ名を王貞治の本塁打記録55本にあやかった『コント55号』としたのをきっかけに爆発的な人気を獲得。テレビにも進出して日本中を席巻するほど人気を得た。
 その後は単独でも【 欽ちゃんのどこまでやるの! 】【 欽ドン!良い子悪い子普通の子 】、【 欽ちゃんの週刊欽曜日 】など数々の人気番組を生み出し、出演番組の合計視聴率から「視聴率100%男」と呼ばれた。
 『スター誕生!』や『24時間テレビ』などの司会も担当し、71年には放送作家集団「パジャマ党」を結成。76年に東洋劇場時代にお世話になった先輩の踊り子さんと結婚し、三人の息子をもうけている。
 85年3月にレギュラー番組を全て降板して半年間の充電に入ったのを機にテレビの表舞台から遠ざかるようになったが、98年長野オリンピックでは閉会式の総合司会を務め、05年には社会人硬式野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成して監督に就任。07年2月には初の本格的な自伝【 なんでそーなるの! 】を出版した。
 07年には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンに挑戦、放送時間内には間に合わなかったが70kmの完走に成功。08年には北京オリンピックの聖火ランナーを務めた。
 10年12月、ゴールデンゴールズの監督を勇退した。後任は片岡安祐美。
 11年3月10日に坂上二郎が死去した。15年4月には社会人入試制度で駒澤大学に入学している。

LAST UP 2017/06/23
      
作品
関連人物
小堺一機 間寛平 はしのえみ 細川たかし 松坂大輔
関連項目
北京オリンピック特集>聖火ランナー

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