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ガッツ石松(がっつ いしまつ)


俳優。元ボクシングWBC世界ライト級チャンピオン。1949年6月5日、栃木県出身。粟野町立第二清洲中学校卒業。本名:鈴木有二(すずき ゆうじ)。

 4人姉弟の次男として生まれる。食事にも事欠くほど貧しい家庭だったため、幼い頃から子守の仕事で小遣いを稼ぎ、小学3年からは新聞配達や牛乳配達をして家計を助けた。
 栄養不足で身体は小さかったが、負けん気の強さで喧嘩では上級生にも負けず、中学1年で番長になる。しかし2年生の時、濡れ衣ながら保護観察処分になったのを機に不良から足を洗い、その頃にテレビで見たボクシングに憧れ、中学卒業後上京。
 ヨネクラジムに入門し、66年のプロデビュー戦で1回KO勝ち。6戦目から「森の石松」にちなんでリングネームを「鈴木石松」とし、縞のカッパに三度笠の股旅スタイルで入場するようになった。これはジムの後援会者の発案で、自身は恥ずかしくてしかたなかったという。
 68年に全日本新人王、72年に東洋王座を獲得。一方で当時30人程の子分を従え池袋界隈を闊歩していたが、子分にやらせていた白タクに絡み、袋叩きにされた実弟を助けに入って、一人で8人KOする事件を起こしている。
 73年にライト級史上最強とも言われるWBA世界王者ロベルト・デュランに挑戦したが10回KO負け。自らダウンするなど戦意を欠いた試合だったため、周囲から叱咤されリングネームを「ガッツ石松」に変更。名トレーナー、エディ・タウンゼントの指導で実力を伸ばし、74年にWBC世界ライト級王座を獲得し、5度防衛した。チャンピオン時代に【 極悪拳法 】で映画デビューし、【 神戸国際ギャング 】では憧れの高倉健との共演も果たしている。
 王座陥落後階級を上げ、ジュニア・ウェルター級(現スーパー・ライト級)の世界王座に挑戦したがKO負けし、78年に現役を引退。以降タレント、俳優として活躍し、テレビドラマ【 おしん 】やハリウッド映画【 太陽の帝国 】【 ブラックレイン 】などに出演。自ら映画制作も行っている(【 カンバック 】【 罪と罰 】)。
 91年に故郷の粟野町栄誉賞第1号を受賞。96年には衆院選に自民党から出馬したが落選。08年には女優の川島なお美とともに広島国際学院大学現代社会学部客員教授に就任。10年に発足した「プロボクシング・世界チャンピオン会」では初代会長に就任した。
 21歳の時に結婚した正子夫人との間には3人の子供をもうけ、長女の鈴木佑季はタレントとして活躍している。
 通算戦績:51戦31勝(17KO)14敗6分。

LAST UP 2013/07/07
 
作品
【 主な出演作品 】 【 関連音楽作品 】 【 著書・関連書籍 】
関連人物
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