福原愛(ふくはら あい)
卓球選手:ANA(全日本空輸)所属。1988年11月1日生、宮城県出身。 早稲田大学スポーツ科学部在学。身長156cm。
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3歳9ヶ月の時にママさん卓球の選手だった母・千代さんの指導で卓球を始める。その後は毎日練習を続け、93年2月に試合デビューすると同年9月の全日本選手権バンビの部(小学2年以下)で4歳ながらベスト16に入って『天才卓球少女』としてマスコミから注目され、一躍卓球界のアイドルになった。なお「泣き虫」として有名だが実際に試合で泣いたのは初期の負け試合だけで、その後は勝ち星を重ねているためほとんど泣いていない。
翌年に全日本選手権バンビの部で初優勝を果たすとその後は年齢とともにクラスを上げながら7連覇を達成。小学4年の時に宮城から大阪に転居すると「王子卓球センター」に通って『王子サーブ』を身に付け、99年には日本女子初のプロ卓球選手となり、史上最年少で一般シングルスに出場してベスト64。
中学校入学後、より卓球に打ち込める環境を求めて青森に引越し、同年に開校したスポーツの名門・青森山田高校の併設校、青森山田中学に転校した。
01年、中学1年の時に全日本選手権ジュニアの部で史上最年少優勝(3年生まで3連覇)。 02年には全日本選手権一般女子ダブルスで最年少優勝を飾るなど小・中学生時代は無敵の強さで国内のジュニアタイトルを総なめにしあらゆる最年少記録を更新。小学3年からは日本代表にも選ばれて国際大会にも出場し、03年に初出場した世界選手権ではシングルスでベスト8。
当初目標にしていたのは08年北京オリンピックだったが04年のアテネ五輪アジア大陸予選で3位に入ってアテネオリンピック出場権を獲得。15歳で出場したアテネオリンピックではシングルスベスト16だった。
05年1月の全日本選手権では女子ダブルスで3連覇を達成するとともに混合ダブルスでも優勝して史上最年少で一般2種目を制覇。5月からは遼寧省チームに入団して中国超級リーグ(スーパーリーグ)に参戦し、06年に広東省チームに移籍した。
07年に青森山田高校を卒業して早稲田大学に進学。08年1月の世界ランキングで10位に入ったため北京オリンピックの代表に決定。北京五輪では聖火ランナーも務めた。
08年の全日本選手権でもシングルスベスト16に終わるなど全日本選手権一般シングルスでの優勝経験はない(ベスト8が最高)。08年の世界選手権では準決勝で敗れ、日本女子は銅メダルだった。なお世界選手権は1年おきに団体戦と個人戦が行われているため同年は団体戦のみ。
北京オリンピックでは歴代最年少、10代では初となる日本選手団旗手を務め、シングルスと団体に出場。団体は3位決定戦で敗れ惜しくもメダル獲得ならず。シングルスは世界ランク1位の中国選手に敗れ4回戦で敗退した。
関連項目:北京オリンピック特集>選手名鑑>聖火ランナー
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